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ランボルギーニの知られざる事実15選。「身売りして数年後に倒産」「デザインモチーフは虫」

2017/09/03

lamborghini

「ランボルギーニの知られざる15の事実」が動画で公開。
ランボルギーニは創立50周年をつい最近迎えたばかりの(自動車メーカーとしては)新しい会社で、1964年に最初の車「350GT」を発売した後に「ミウラ(1966)」「カウンタック(1974)」と名車を次々発売し、1974年には完全に身売り、1978年には倒産という、まさに「時代を駆け抜けた」会社。

その後6回も会社の持ち主が変わっており、現在の親会社であるアウディとなってからは「スーパーカーのみ」をリリースしていますが、もともとはトラクターやエアコンを作っていたり、LM002という豪華SUVを作っていたり、4人乗りの高級GTを作っていたり、と今とは随分イメージの異なる謎カンパニー。
ここでその「知られざる事実」を見てみましょう。

1.フランク・シナトラは熱心なランボルギーニのファンであった
ランボルギーニは設立後間もなくアメリカ市場へと参入していますが、フランク・シナトラ、マイルス・デイヴィスなど著名人の多くがその魅力に取り憑かれた、とされています。

2.ランボルギーニ創業者、フェルッチョ・ランボルギーニは第二次大戦中、捕虜として囚われていた
招聘された後に整備兵となり、その後ギリシャに駐屯。
その後1964年に捕虜となり、1966年に帰国した、とのこと。

3.ランボルギーニはトラクター会社としてスタートした
ランボルギーニは創業者、フェルッチョ・ランボルギーニが戦争より復員後、戦時中に培った技術やコネクション、先見の明をもってトラクタービジネスをスタート。
これが大ヒットし、それでえた莫大な富でスーパーカービジネスをはじめることに。

4.ランボルギーニのロゴ、車の名前は闘牛に由来する
ランボルギーニのエンブレム「ファイティングブル」はフェルッチオ・ランボルギーニがおうし座だったことに由来するとされることが多いものの、息子であるトニーノ・ランボルギーニによると「単に力強そうだったので」選ばれた、とされています。

そこで商才あふれるフェルッチオはこのエンブレムを闘牛と関連付けようと(プロモーション上の理由で)考えたのか、ミウラ、エスパーダなど闘牛に由来するものがいくつか。
現代のランボルギーニもそれを受け継いでおり、「ディアブロ」「ムルシエラゴ」「アヴェンタドール」「ウラカン」もそれは同じ。

ただ「ウルス」は闘牛とは異なり「太古に存在した巨大な牛の種類」となっていますが、牛に由来するのは変わりがないようです。

5.ランボルギーニ・ヴェネーノはもっとも高価で、最もレアな市販車の1台である
ランボルギーニ・ヴェネーノ(やっぱり闘牛の名前)は3台のみが製造され、その価格は邦貨換算で3億6000万円ほど。
ランボルギーニの限定車においても、この「3台」というのは異例中の異例であり、レアさではトップレベルとなっています。

6.ランボルギーニのエンジンはパワーボートにも使用される
自動車のランボルギーニ(会社)の正式名称は「ヌオーヴァ・アウトモービリ・フェルッチオ・ランボルギーニ SpA」で、これはトラクターを扱っていた「ランボルギーニ・トラットリーチ SpA」から切り売りされたもの。
ランボルギーニはほかにマリン事業部をもっていて(これも自動車とは別部門)、そこでボート用エンジンも製造。
なおランボルギーニ・ミュージアムにはその巨大なV12エンジンが展示されています。

7.ランボルギーニの初展示となる車にはエンジンが積まれていなかった
これは単に「間に合わなかった」からだとされており、むしろ「それでもやってしまえ」という勢いの感じられるエピソードでもありますね。
逆に「ミウラ」はシャシーとエンジンのみでボディがない状態で展示されたようですね。

8.フェルッチョ・ランボルギーニが会社を売却した数年後、ランボルギーニは倒産した
1974年にフェルッチョ・ランボルギーニはランボルギーニの自動車部門をロゼッティに売却(それより先に株式の51%を1971年にやはりロゼッティに売却)していますが、そのわずか4年後、1978年にランボルギーニは倒産。
フェルッチョはこういった「危機をうまく切り抜ける」才能に恵まれていたようですね。

9.アヴェンタドールのデザインモチーフは飛行機と虫だった
ランボルギーニは少し前からイタリア空軍とのコラボを行っており、「レヴェントン」でステルス機をモチーフにしたデザインを行っていて、アヴェンタドールにも多分にその影響が。
しかしデザイナーのフィリッポ・ペリーニ氏によるとそのモチーフは「カメムシ」とのこと。
なおウラカンは「折り紙」、アヴェンタドールSは「毒蛇」と「サメ」。

10.ランボルギーニはエンツォ・フェラーリに見下されたことで対抗できる車を作ろうと考えた
現在の最も有力な説ではあるものの、家族によると「抗議に行かなかった」、ビジネスパートナーのパオロ・スタンツァーニ氏によると「抗議に行ったがエンツォは丁寧に対応してくれた」とあり、実際は不明。

ただ会社を早々に売却したところを見ると、エンツォ・フェラーリのように車そのものに対する情熱は薄く、単に「ビジネス」としてこれを考えていた可能性も(レースに参戦しなかったのも単に採算の問題だったのかも)。
実際にこの見方も強く、「生まれたばかりのランボルギーニを宣伝するため、エンツォとのエピソードをでっち上げた」とする推測もありますね。

なお、ぼくがランボルギーニ本社を訪れた際にこれを(本社の人に)聞いてみると、「フェラーリに行ったら”トラクター野郎はトラクターでも作っとけ”と言われたのが創業の由来」と語ってくれ、本社ではこの説が信じられている模様。
しかしこのエピソードは従業員の「ランボルギーニ愛」をより強くするのに役立っているようで、何が本当か分からないにせよ、「今なおその心意気は活きている」と言えそうです。

11.ランボルギーニは移植用臓器輸送用として、ランボルギーニのパトカーをイタリア政府に提供している
ガヤルド、ウラカンと2世代にわたってランボルギーニはこれをイタリア警察やローマ警察に提供。
車両は警察用の無線や装備、パトライト、そして臓器収納用の冷蔵ケースが設置されています。
アルプスを超えることもあるといいますが、4WDのガヤルド/ウラカンはこれに適任なのかもしれませんね。
そのほか、ボローニャ空港ではアヴェンタドール、ウラカンが「誘導車」として使用されていたことがあり、公共で働くランボルギーニは意外と多いようです。

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12.ミッシー・エリオットのランボルギーニ・ディアブロ(パープル)は盗まれた後に事故を起こした状態で発見された
非常に残念な事件ですが、クリス・ブラウンのアヴェンタドールも「クリス・ブラウン以外が乗って」大きな事故を起こしたことが報じられています。

13.ランボルギーニは2016年に販売台数の記録を更新している
2016年には3457台をデリバリーし、2005年の1600台に比べると実に「倍以上」。
しかしながらフェラーリは8000台以上を販売しており、まだまだフェラーリを捉えるのは難しそうです。

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14.ワンオフで制作された「コンセプトS」はオークションへと出品予定
以前に一度オークションに出品された際は「流札」しましたが、今回落札されるのかどうかは不明。
なお、このコンセプトSは3台が製造されて販売された、という話もありますね。

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15.ランボルギーニは特別製のゴルフカートも作っている
これは初耳ですが、エンブレムを見ると自動車の「ランボルギーニ」ではなく、息子が運営する「トニーノ・ランボルギーニ」製。
なおトニーノ・ランボルギーニは小型自動車の設計や販売にもかかわっていますね。

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