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ミウラ設計者、ダラーラ氏が購入してレストアしたミウラが公開。珍しい軽量ボディ版

2017/09/05

| まさかアルミボディのランボルギーニ・ミウラが存在したとは |

所有していたのはほかならぬミウラ設計者、ジャンパオロ・ダラーラその人

ランボルギーニがイギリスにて開催のサロン・プリヴェにて、レストアされた「ミウラP400」を公開。
ただしこのミウラは「ただのミウラ」ではなく、ランボルギーニにてミウラの設計を行ったジャンパオロ・ダラーラその人が所有しているもの。

ジャンパオロ・ダラーラ氏は「ミウラ誕生の父」と言われ、1963-1969年という短い間しかランボルギーニに在籍していなかったものの、その偉大なる功績ら讃えられ、ランボルギーニ公式ホームページに「キーパーソン」としても掲載されています。

ランボルギーニ・ミウラについて、設計はジャンパオロ・ダラーラ氏、エンジン設計及び改良はジョット・ビッザリーニ氏とパオロ・スタンツァーニ氏、デザインは当時ベルトーネに在籍していたマルチェロ・ガンディーニ氏。

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ジャンパオロ・ダラーラ氏はランボルギーニの他フェラーリ、マセラティでも設計を担当。
ランボルギーニを辞した後は1972年に自身の会社「ダラーラ・アウトモビリ」を設立しています(レーシングカーの設計が主な業務内容となっており、同氏はロードカーよりもレースカーに興味があったと思われる)。

なお、ウラカンのワンメイクレース用マシン、「スーパートロフェオ」や「GT3」はダラーラとの共同開発となっており、ランボルギーニ退職後も、両者は良好な関係を維持していたことがわかりますね。

今回公開されたミウラはランボルギーニのクラシックモデルをレストアする部門「ポロストリコ」によって入念に仕上げられたもので、シャシーナンバーは3165。
ボディカラーは珍しいホワイトとなり、出展されたサロン・プリヴェのコンクール・デレガンスでは見事1位に輝いています。

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なお、ダラーラ氏はこのミウラを2016年に入手しレストアを行っていますが、購入に際しては「ごく初期の」ミウラにこだわった、とのこと。
そしてダラーラ氏は当時このミウラを製造したときのことを覚えており、0.8ミリという通常よりもボディパネルを持つボディナンバー68(ライトウエイトシャシー)の個体を地元で発見し入手に至ったそうです。

その後ランボルギーニの「ポロストリコ」へ預け、およそ3000時間、期間にして14ヶ月をかけて完全にレストア。
現在ポロストリコでは12台の車をレストアして路上に送り出しており、そのうち6台はミウラ、とのこと。

ランボルギーニ・ミウラは1966-1973年の生産ですが、ダラーラ氏が「生産当時」を覚えていたということは1969年までに作られたもので、そして50年近く前に作られた自分の作品とこうやって再び巡り合う、というのはなんとも感慨深いものがありますね。

そして、ダラーラ氏はほかのミウラであっても、それを見かけるたびに「あれは自分の設計したものだ」と誇らしく感じると思われ、加えて今後同氏がなくなったとしても、その意志をのせてミウラは後世にまで残ってゆくのは間違いなく、その意味でもダラーラ氏の成し遂げたことは「計り知れないほど偉大」だと考えられます。

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