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■駄文(日々考えること)

クリスマスや正月など、「イベント」「特別な日」について考える

2017/11/13


|ぼくは、クリスマスなどイベントが好きではない|

ぼくは、クリスマスやお正月などのイベントがあまり好きではありません。
天邪鬼なので「人と同じときに同じことをする」とい行為が好きではないのですが、それよりもイベントにより生活のリズムが乱れることが好ましくなく、ぼくは、まいにち同じことをして同じように生活するのが大好きなのです。

ぼくにとってはイベント以外も大切な日だ

ぼくらはあまりにもルーティン化されたまいにちを過ごすあまり、その一日の重要性を忘れてしまっていると思うのですが、つまり「クリスマスと特別な日」扱いすることは、そうじゃない普通の日は「特別ではない日」ということになります。

ですが、ぼくにとっては、クリスマスもそうでない日も同じように「たいせつな一日」であり、「今日はクリスマスだから特別」「今日はクリスマスじゃないからどうでもいいや」ではないのです。

今日という日は昨日の延長であり、そして未来へと続く一日です。
昨日と同じ今日を迎えることができたことをぼくは感謝しますし、もしかすると明日目が覚めると、全てを失っているかもしれない。
そう考えてまいにちを過ごしているのです。

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今日と同じ明日が必ずしもやってくるわけではない

ぼくらが当然だと考えているものは容易に失われ、破壊され、持ち去られる可能性だってあるのですね。
だからこそぼくはまいにちその日に出来ることは必ずやっておくわけで、いつ何が起きても悔いのないまいにちを過ごすように心がけているわけです。
もしもこの人と話すのがこれで最後だったら、もしもこの車を運転するのがこれで最後だったら、もしもこの食事が最後だったら、もしも今日と同じ明日がやって来なかったら。

ぼくがそう考えるようになったのは、以前にぼくが絶対だと思っていたものや、当然享受できるものだと信じて疑わなかったものが、瞬時にしてぼくの意思とは関係なく、ぼくの手からすりぬけて失われてしまったからなのですが、それ以降は(以前もそうでしたが)より一層自分の殻に閉じこもる傾向が強くなったように思います。

イベントそのものではなく、イベントに流される人々が好きになれないだけかもしれない

そしてもうひとつ、クリスマスなど特別な日が好きではない理由として、「皆が同じ方向に流されているから」というものがあります。
マリリン・マンソンいわく「俺は本当の神がきらいなわけじゃなくて、神にすがるヤツらが嫌いなだけだ」と発言しており、まさにこれがぼくの心情を表しているのかもしれません。

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ぼくはクリスマスが嫌いなわけじゃなく(むしろ宗教上の重要な日であることは理解している)、正確に言うとクリスマスよりも”クリスマスに流される人”が好きではないのでしょうね。
卒業式や成人式や祭りでバカ騒ぎする連中と同じで、ある種の人々は自分たちの抱える不満や欲望をさらけ出す場としてそういった「クリスマス」のようなイベントを選んでいるわけであり、それはつまり「他人になんらかの場を提供してもらわないと、自分で楽しみを創出できない」受け身の人たちであるように思えるのです。

自身が真にクリエイティブであるならば、イベントにかかわらず楽しいそして充実した毎日を過ごせるはずですし、それができずに他人に用意してもらった場でなにかを発散する、という行為(やそれしかできない人たち)が好きになれないだけなのかもしれません。

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