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ランボルギーニ・ガヤルドLP560-4雑感。操作した感覚、走行フィーリングなど

2017/11/16

ランボルギーニ・ガヤルドの運転フィーリングは意外や「ゆったり」?

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ガヤルドはポルシェ911(997)に比べるとどっしりとした印象

ランボルギーニ・ガヤルドで走行してみると、感覚的に「重い」というか、どっしりとしているように感じます。
ポルシェ911カレラのように敏捷ではありませんし、走行中にも入りたいと考えたスペースに瞬時に移動しているわけでもありません。
ガヤルドにはスマートウインカー(ちょっとタッチすると3回カッチカッチとなって勝手に止まるやつ)も装備されますが、その3回点滅する間にガヤルドが行う動きは、911カレラに比べてゆったりとしたものです。

その3回のウインカー点滅の間には、行おうとした動作(車線変更開始から車線変更、そして移動した車線で直進の姿勢に移る)をすべて完了できる911カレラとは異なる印象をガヤルドは持つわけですね。
ただしこれらはあくまでも通常の速度域(とぼくの感覚による)の話であり、それらはけして「ガヤルドが鈍重」というわけではなく、ただ単にそれぞれの車が生息するテリトリー(速度域)が異なる、というだけのことであります。

例えばポルシェ・ボクスターはタウンスピードでも十分に「楽しい」車ですが、911カレラは、タウンスピードではその性能を持て余し、むしろそのシビアさがアダとなって、ある意味苦痛を伴っていたのも事実。
しかしながら、その苦痛は高速道路へ上がると同時に一気に快楽へと昇華するわけですね(そして911カレラの得意とする速度域では、ボクスターは逆に緊張感を要求される車に変化)。

そしてガヤルドでは911カレラの「気持ちいい」速度域のもう少し上がその生息域となっているようで、その「操作系の重さ」が911カレラよりも上の速度域において「ちょうどよく」なり、その速度域においてこそ自分が意図した操作とリアルタイムで連動するようになっているように感じます(つまりガヤルドはかなり高い速度域でこそ、生き生きと動くようになる)。

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そのような意味もあり、なかなかすべての環境や走行条件において満足を得ることができる車は少ない、とぼくは考えています(低速でも高速でも同じように楽しい車は少ない)。

高速域ではキビキビ走ることができるランボルギーニ・ガヤルドも、比較的交通量の多い一般道上において他の車と同じスピードで走行しなくてはならない環境では、ただの「後方視界の悪い」、運転しづらい車だと言えるかもしれません。
なかなか良い条件で、高速道路だけをいつも走れるわけでもなく、そのような(良い条件がそろっていない、性能を発揮できない)環境の中においても、「今自分が乗っている」車はとくべつなものである、と認識させる要素。それは何か、というとやはり「内装」であり、運転席に座ったときに見える「景色」である、とぼくは考えています。
ぼくが比較的内装へのこだわりを見せる原因はここであり、ガヤルドは(内装がいかにもスーパーカー的だということで)ぼくの要望を満たす数少ない車であるかもしれません。
あくまでもこれはぼくの個人的見解であり、その車をとくべつだと感じさせる要素が「音」であると感じる人も多いのでしょうね。

実際の操作系も「重い」タッチを持つ

ランボルギーニ・ガヤルドの操作系はタッチや動作が重い、という印象があります。ドアを開けるときにもウインドウが一瞬下がりますが、その下がる速度にしても、ドアノブを引いてドアを開ける感触も、ドアを閉める時の重みも、キーをひねってエンジンを始動させるときの手ごたえも、すべて重く感じます(ポルシェ・ボクスターや、911カレラとの対比において)。

それらには何の理由も無いかもしれませんが、逆に何らかの意味があるかもしれない、と考えたりするわけですね。
ガヤルドは特殊な部類に属する車ですし、エンジンを始動させるまでの段階でもそれらを(タッチを重くすることで、普通とは違うということを)意図的に演出している可能性も。

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そしてガヤルドの操作系において、「重い」ということのほかに、「曖昧さが無い」という印象も、ぼくは同時に抱いています。
「なんとなくドアを開ける」という気持ちではドアを開けることは難しいですし、ドアを開けようとすれば、「ドアを開けよう」という確固たる意志が必要なわけです。
同じくドアを閉めるにも、「なんとなく惰性で閉める」のではなく、(運転席に座って)ドアを閉じようという確かな意識を持ってインナードアハンドルを引く必要があるのです。

そんなこんなで、覚悟を決めてエンジンをスタートさせるわけですが、Eギアのパドル操作も、軽快にパコパコ引く、というよりは、きっちり引いてギアを入れる、という感じで操作しないと、ギアを入れたつもりが入っていない、ということもあったりします。
つまり、すべての操作において、それらを操作するという明確な意思を持ち、正確に操作してやる必要がある、と感じているのですね。

気軽ではないというところでは、ATモードにするにもいったんMTモードで走り出した後でないとATモードに入らなかったり、というところも同様。それはまるで、車が「本当にその操作でいいのか、もう一度よく考えてみろ」と自覚を促しているようにも感じられるのです。
車は、金属と樹脂とガラスの集合体であって生命を持ちませんが、この世で造られてぼくの手元にやってきた以上、それには何らかの意味があると考えていますし、その車のひとつひとつ、たとえば部品や操作した感覚にも、何らかの意味があるのだと、ぼくは考えています。

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ランボルギーニ・ガヤルドは意外と注目されない?

ガヤルドに乗って走っていても、意外と視線を集めないように感じることも。
「予想していたよりは」という但し書きが付きますが、それでもポルシェ911カレラやミニクーパーSの方が注目されているような気がします(別に視線を集めたいわけではありませんが)。
カレラの場合はボディカラーが黄色、ミニの場合はそのステッカーや各部のペイントが人目を引くのかもしれません。
そしてガヤルドの場合、その形状こそ非日常的ですが、ボディカラーそのものが白なので、あまり目立たないのかもですね。

その他走っていて気づくことと言えば、後ろの車両がやたらと車間距離を開けていること。
カレラの場合はけっこうべタ付けされることも多く、上り坂の信号停車でピッタリ後ろに貼りつかれると相当な緊張を強いられたものですが(マニュアル・トランスミッションで、しかもヒルスタートアシストがないため、坂道で下がる可能性がある)、ガヤルドの場合は後続車が距離を置いているケースが多いようです。

なお、対向車から見るとガヤルドはかなり目立つようで、片側一車線づつの道路を走っているときなどは、対向車がガヤルドを確認したとたん、大げさに避けてくれるのがわかります(けっこう急ハンドルだったりする)。
もちろんぼくは車線をはみ出ているわけでもありませんし、まだ車両に慣れず極めてゆっくり走っているのですが、ちょっと「驚かせて申し訳ない」気分ではありますね。

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