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■駄文(日々考えること)

「いつかはきっと」と思うことは意外と実現できない

2017/12/29

| 「いつかはきっと」では実現できない |

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ときどき思うのですが「いつかはきっと」と思うことは、意外と実現できないものだと思います。
「いつか」と「きっと」という不確定な要素が二つも入っていて、「宝くじが当たったら」というのと同様、それは実現するつもりが無いかのようにも思えるから。夢を夢と捉えるか、夢を現実的な目的と捉えるか、その差と言いかえてもいいかもしれません。

ちょっとずつでも進めば、いつかはたどり着く

だから、ぼくが何かを行う、また行おうとする場合は、たとえ今それが手が届かないことであっても、どうすれば自分の手が届くのか、どうすれば自分がそこへ行けるのか、そこから考えて一歩を踏み出します。

たとえ高価な買い物であっても、どうやれば買えるのかを考え、そのための方法を実践するわけですが、1000万円必要であればそれを12で割ると毎月いくら、それをさらに30で割ると1日いくら、そして24で割ると1時間いくら。
そう考えるとなんとなく「やるべきこと」が見えてきますし、同時に「やるべきでないこと」も見えてくるかもしれません(こんなことをしている場合じゃない、こんなモノを買っている場合ではない、など)。

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そこへ行くのに時間がかかることもあれば、そうでないこともありますし、とにかく目的に向かって計画を立て、それをきっちりクリアしてゆくことが重要だと思うのですね。
ぼくは人に頼ることをしないので、また頼るべき人もいないのですべてを自分で行うしかないのですが、とにかく前に進むしかないのだと思います。

宝くじよりも自分の努力の方が確実

そういった理由で(着実に進むという意味で)、ぼくは不確定要素の大きい宝くじやギャンブルには興味がありません。※ぼくの人生そのものがギャンブルと言ってしまえばそれまでですが
宝くじを買って何億か当てるよりも、自分の力で何億か稼ぐほうが近道で効率的、しかも現実的で自分の為になるのだと思うのですね。

また、限界というものはその人が決めるものだ、とも考えています。
その人が「無理だ」と思えば、それはその人にとって無理でしょうし、「限界だ」と思えばもうそこが限界なのだと思います。
逆に「まだまだやれる」と思えばきっとやれるのだと思いますし、限界というのは自分の肉体や精神を保護するために意識的・無意識的にその人が決めているものなのかもしれません(要は逃げるための言いわけなのかもしれない)。

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