■そのほか自動車関連/ネタなど ■駄文(日々考えること)

若者のクルマ離れとは?自分が「馬車はいらない」と思うのと同じように若者は「車は不要」と考えている?

2017/12/06

若者のクルマ離れとは何なのか

日本では、若者のクルマ離れが進んでいる、とはよく言われます。
バブル期はクルマがステータスシンボルとして機能したこともあったと思いますが、今ではクルマ以外にもステータスシンボルがありますし、なによりもステータスシンボル、という考え方そのものが老朽化してしまったのだとも思います。

もはやクルマはステータスとしての意味はない

モノがなかったときや、誰もがすべてのモノを持ち得なかった時代では、モノを持っている、他人より「高い」モノを持っている、ということが一種の誇示手段であったかと思うのですね。
ですが、今や誰もがなにもかも、”必要以上の”モノを持つに至った現在、モノというのはほぼ誇示手段としては意味をなさなくなってきたとも考えられます(手に入らないモノ、他人が持ち得ないモノは別として)。

これは日本の急成長やライフスタイルの変化というところがあると思うのですが、じゃあ日本よりもずっと前にお金持ちになった国ではどうなの?と思うのですね。

アメリカでは、日本同様に都市部では免許取得率が低下している、つまりクルマ離れが進んでいるというデータもありますが、一方では黒人ラッパーやそのほか セレブのように「成功したらとりあえずクルマ」という傾向があるのもたしかで、よくミュージシャンのPVにもクルマが出てくることからも、その訴求力自体 は低下していないのだと想像できます。
ただ、訴求力のあるクルマというのが、ほぼスーパーカーレベルにまで上がってしまっている、というのはあるかもしれません。

ヨーロッパでは、さらにアメリカよりもずっと速くお金持ちになった国です。
ヨーロッパ諸国を旅していてぼくが感じたのは、「自分が満足することが第一で、他人に何かをアピールするのはその次」という考え方がある、ということ。

日本はお金持ちになって20年、アメリカは100年、欧州は200-400年、ということを考えると、所得と生活水準そしてモノを自己顕示の手段として用いる傾向というのはある程度リンクしているように思います。
つまりお金を急激に持つと、(中身が伴わないためか)モノで自分を誇示して自分をハイクラスに見せようとする傾向があるのではないか、ということですね(まさに現在の中国)。

lamborghini huracan key

そして、お金もちの期間が長くなると、中身も伴ってきてその必要も無くなるので、人に自慢できるよりも自分が満足できるのが一番いいんじゃないか、と考えるようになってゆくんじゃないか、ということです。

日本の場合、あるていどお金持ちになってからの期間が長く(バブルがはじけたのちでも、高額所得者の数は増え続けている)、そのために自己顕示の手段としてのクルマの需要が下がったのでしょうね。
昔のオッサンであれば、「いい年して小さなクルマに乗れるか」というのがあったかもしれませんが、今のオッサン世代はあまりそういったこともないと思われ、だからこそ軽自動車やコンパクトカーが売れるのだと思います(欧州でいう「自分が心地よいのが一番)。

環境負荷や危険性が叫ばれることもその要因の一つ?

その他、、クルマ自体が世の中や環境に対してよろしくない、危険だというような風潮があることも、クルマ離れが進む原因なのでかもしれません。
クルマ以外にお金をかけるべきモノやコトが多く登場し、かつ世論的にもクルマの価値が”相対的に低下した”ことで、その魅力が薄れてしまった、と考えるわけです。

DSC01760

一方、ときどきYoutubeにUPされるように「徒歩でナンパしに行った場合とフェラーリでナンパしに行った場合」「ボログルマでナンパしに行った場合 と高級車でナンパしに行った場合」の結果が露骨に異なっていたり、ロンドン市内はナンパ目当ての(中東の人の)スーパーカーでいっぱいという現実を見る と、クルマというのは古今東西モテツールとしては強力ウエポンなのかもしれません。

関連投稿
ジャージのイケメン(徒歩)とウラカンに乗ったブサメンのどちらがモテる?社会実験動画
ウラカンでナンパをするとどうなる?例の「偽ルイス・ハミルトン男」が実験(動画あり)

ただ、日本の場合は上記のように「価値が相対的に低下しており」モテツールとしての価値が感じられない、というのが欧米との相違点かもしれませんね。
もしかすると、ファッション誌がこぞって「いいクルマに乗ればモテる」ということをアピールしてゆけば、若者のクルマ離れがストップするかもしれず、国内自動車メーカーが無理矢理にそのへんをゴリ押ししたらどうなるんだろう、と考えたりもします。

DSC01699

その他、クルマ自体の「必要性」がなくなった、金額そのものが高くなってしまった(のに所得は増えない)、クルマのほかにも楽しみやお金を使うことがたくさん出てきた、そもそもなんでも揃っている時代に生まれたので物欲を感じない等の要因も考えられ、そういった複数の要因が絡み合っているのが「若者のクルマ離れ」に結びついているのかもしれません。

そして、そういった「たくさんの」要因がある限り、ひとつふたつの要因を取り除いたとしてもこの問題は解決せず、自動車そのものがもう前時代的な存在であり「オワコン」なのでは、と考えたりも。

なお、ぼくは「馬車を欲しいか」と言われると絶対にいらないと答えますが(そもそも興味も持てない)、そういった感じで若者も「自動車はいらない」と考えているのかもしれません。

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

-■そのほか自動車関連/ネタなど, ■駄文(日々考えること)
-,