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”人生でいちばん寒い夜”。映画「モーターサイクル・ダイアリーズ」について考える

2017/12/01

今まで観た映画の中では一番暗い映画だった

”この旅は、想像以上にぼくを変えた。
少なくとも、今のぼくは以前のぼくと同じではない。”

これはガエル・ガルシア・ベルナル主演の「モーターサイクル・ダイアリーズ」、ラストでの台詞。
この映画はゲバラの「チェ・ゲバラ モーターサイクル南米旅行日記」をロバート・レッドフォードの製作総指揮で映画化したものであり、しかしミニシアター公開規模に止まったので最近まで観る機会に恵まれませんでしたが、もっと早く観ておけばよかったな、そう思う一本でした。

もともとゲバラは裕福な家に生まれた医学生だった

もともとゲバラはぼくの興味の対象であったわけで、サルトルをして「完璧なる人間」、ジョン・レノンをして「いちばんイカス男」と言わしめたゲバラ。
ぼくは資本主義者なので共産主義とは相容れない思想の持ち主ではあ流ものの、そのゲバラの人生にはおおいに興味をひかれるわけです。

チェ・ゲバラ

そんなことから「チェ・ゲバラ モーターサイクル南米旅行日記」は以前に呼んだことがあり、その中で最も記憶に残る一節は「ポデローサ号を失ったとき、ぼくらは【モーターつきのたかり屋】から【モーター無しのたかり屋】になった」というものでした。
彼ら(ゲバラとその友人)は1台のモーターサイクル(ポデローサ号)で、南米1万数千キロを走破する旅に出たわけですね。
もともと裕福な家に生まれ、真の苦労を知らなかったであろうゲバラ。
そんな彼が南米大陸を旅するうちに目にした資本主義による搾取と略奪、そしてその被害者を目にしたとき、彼の中でどういった変化が起きたのか。なぜ歴史に名を残す革命家となったのか、それをうかがい知ることができる一冊であったと思います。

世界には「出口のない闇」がある

ぼく自身もたいした苦労など無く育ったわけですが、はじめて中国大陸を訪れたとき、「出口の無い闇」の中で暮らすしかない、そしてなんとか闇から脱出しようと足掻く人々の存在を知って愕然としたことを覚えています。
海を隔てているとはいえ華やかさばかりが報じられる隣の国で、しかも21世紀の世の中にまさかそんな現実が存在するとは想像だにできず、そしてその現実は、ぼく自身が逃れることができない心の闇として未だ存在することに。

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ぼくは色々と中国をネタにすることはありますが、実際のところけっこうな親中派で、最近何かと話題の中国人の行いについては「罪を憎んで人を憎まず」的な部分があります。
重要なのは「法を犯したこと」ではなく「なぜ法を犯さなければならなかったのか」ということですね。
それは中国の(反日)教育のせいかもしれませんし、チャンスすら与えられない貧しい環境のせいかもしれません。
罪を犯した彼らとて、もし日本に生まれて育っていたら善良な市民だったのかもしれませんし、ぼくが中国の貧民街に生まれていたら犯罪者になっていたのかもしれない、ということですね(ゲバラだって旅をしていなかったら革命家にならず、予定通り医者になって普通に暮らしていたのかもしれない)。

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つまり「どうしようもない環境があり、生まれる環境は自分では選べない」のが現実。
ゲバラは武力闘争無しでは解決をはかれないとしましたが、現在地球はボーダレス(資金の流れ、産業の構造)となっており、しかし様々な習慣や宗教の人たちが世界にはいて、お互いを否定し排除するのではなく理解しあう(受け入れる必要まではない)ことも重要なのかもしれません。

それはぼくらの日々の生活においても同じで、異なる嗜好や趣味を持つ人を排除するのでなく、受け入れて理解することで自分の世界が広がるのではないか、と思います。

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