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■駄文(日々考えること) ■映画や音楽、本について

写真は一種のタイムマシーン?昔の写真に写る自分は何を想っていたのか

2018/05/06

| あの時の自分は何を考えていたのか? |

色々と昔の(デジタルカメラがまだ普及していなかった頃の)写真を整理中。
カメラには興味がないまま、それでも自分が生きてきた情景の一部を切り取るという行為に対し、ぼくは重点を置いてきました。
それはあるときは写真であり、あるときは別の手段でもあります。

ときには写真を見返して見るのもいい

そして昔の写真で、自分が写っているものを見たとき、ふとこう思うことも。

あのとき、ぼくは何を考えていたのか。
あのとき、ぼくは何をしようとしていたのだろうか?
なすべきときに、なすべきことをしたのか、そうでなかったのか。

だれもぼくの人生に責任を持つことはできないし、ぼくだって他のだれかの人生に責任を持つことなんてできないわけです。
この写真を撮ったおよそ26年前、ぼくは何をしようとして、何を考えて、何になろうとしていたのだろう?。
今のぼくはそれを思い出すのは難しく、しかし同時期に撮影した写真を探して並べることで記憶が蘇ることも。

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そう考えると、写真というのは、ある時点まで自分をプレイバックさせてくれる、そう、まさにアラン・パーソンズが指摘したように一種の「タイム・マシン」でもあるのかもしれません。

当時のぼくは今の自分を想像できなかっただろうし、今のぼくは少し先の事すら想像できない。でも、写真を見ることでぼくらはほんの一瞬でも、過去へ戻ることができるのかもしれません。
時の流れはあまりに速く、まわりの景色はどんどん色あせていって、過去の記憶もどんどん失われてゆくけれど、しかしぼく自身はいつまでもぼく自身でありたいと願うのです。

一番上の写真の真ん中に、黒いダッフルコートを着てロンドンタワーの中庭に立っているのは、20年前のぼく。
映画”タイムマシン”でのセリフのように、「記憶は過去へ、そして未来には希望が連れて行ってくれる」のだとぼくは考えていますが、記憶、そして希望は常に大事にしていたいとも思います。

そしてもうひとつ考えるのは、未来の自分が今の自分の写真をみたときに、「時間を巻き戻したい」「自分は間違った選択をした」と悔やまないよう、今という一瞬を大切にしたい、ということ(それでも人生は後悔の連続ではある)。

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