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■駄文(日々考えること)

目の前にドアがあったら、開ける人と開けない人がいる件

| ”前に進む人”と”現状にとどまる”人がいる |

外に出てみると、とてもたくさんの人が行き交っています。
その人それぞれが自分の人生を生きていて、その人それぞれのドラマをかかえているわけですね。
そのドラマの中では当然彼ら本人が主人公なのですが、彼らはその役回りに満足しているのだろうか、と考えることがあります。

人間は大別すると二種類

自分の人生に満足しているのか、はたまた自分の人生に満足できていないのか。満足していない人の中でも、たえず努力を続ける人もいれば、すでに努力を放棄してしまった人もいるのかもしれません。

そして、ぼくは人間は大別して二種類あると考えていて、それは「目の前のドアを開ける人と開けようとしない人」。

目の前にドアがあっても、それを開けて向こうに行こうとするする人や、変化を恐れてドアの存在そのものを見て見ぬふりをする人。
ドアというのは「今とは違う空間に通じる」扉であり、ぼくらを別の世界へと連れて行ってくれる可能性も。
なにか可能性を求め、現状に飽き足らずに熱を持て余している自分を新たなチャレンジへと導いてくれる象徴が「ドア」なのかもしれません。

はたまた、そういった変化の象徴でもあるドアを「現在の自分の世界を乱す存在」だとして無視する人がいることも事実です(満足する現状があり、何かを変える必要がない、というのはそれはそれで良いことだと思う)。

そして面白いのは、ドアを開ける人にも二種類いて、「何も考えずに」ドアを開ける人と、「どの向こうに何があるのか」を予期してドアを開ける人。
前者は、たとえば実生活でも同じですが、押して開けるドアを、向こうに人がいるかどうかを気にせずに思いっきり開けてしまう人。
後者は、「向こうに人がいるのでは」と考えてゆっくり開ける人で、ドアを開けるかどうか、そしてその開けかたについても性格が垣間見えるのは非常に面白いところですね。

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ドアを開けるかどうかはひとつの「選択」だといえ、それが未来の自分に繋がるのだ、とぼくは考えています。
ぼく自身、もしかすると違う自分になれたかもしれない、違う自分になりたい、と考えたこともありましたが、やはりどこまで行っても自分は自分なわけで、今の自分は過去の自分ががんばった、または怠けた、無難な選択をした、またはチャレンジングな選択をした、その結果としてあるのだと思うのです。
あのとき何かを成し遂げた、そして成し遂げられなかった結果、今ここにいるのだ、と。そう考えると未来の自分は今の自分次第ということになり、ひとつひとつの行動や選択が非常に重要な意味を持っているのだと感じます。

そしてぼくはドアがあれば必ずそれを開けてみよう、とも考えています。
たとえ現事情が満ち足りたものであったとしても、ドアの向こうにはさらに素晴らしい世界が待っているかもしれないから。

そして、ドアの向こうにどんなものが待ち受けていようとも、それに備えなければ、とも考えています。
それが善きものであろうとも、悪しきものであろうとも。

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