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今日のランボルギーニ・ウラカン。夢の中でぶつけてしまう→潜在的に失うことを恐れている?

2018/06/05

| なぜかウラカンを当ててしまう夢をよく見る |

lamborghini huracan

ときどき、所有しているウラカンに乗っていて、出先でぶつける夢を見ます。
派手なクラッシュではなく、いつも(自分で運転していて)ちょっと「ガリっと」やってしまう程度ですが、比較的同様の夢を見ることが多く、「なんでだろうな」と考えることも。

自分なりに考察してみたところ、「これはウラカンを失うことに対する潜在的恐怖がそういった夢を見させるのでは」と考えていて、せっかく手に入れたウラカンを何らかの事情で手放さなくてはならない事態に陥ることを恐れているのかもしれません。

訪れた幸運はいずれ逃げてゆくかもしれない

ランボルギーニ・ウラカンは”スーパーカー”なのでそれなりに維持費のかかるクルマですが、つまるところそういった維持費を払えなくなったり、もしくは何か失敗して全財産を失うことになるんじゃないかという恐怖を、ぼくは潜在的に抱いている、と言えそうです。

基本的にぼくはギャンブラー体質なので人生そのものも「ギャンブル」ですが、そのために「一瞬で何もかもを失うかもしれない」という覚悟は常に持っているわけですね(冷静に考えると、そうならないであろうことも認識はしている)。

よくよく考えると、ぼくは何かを手に入れる前から「失う」ことを恐れることが多く、そのために何か思いがけない幸せを手に入れたとしても素直に喜べないことが(だから宝くじに当たっても嬉しいとは思えない)。
偶然訪れた幸運は、やってきたときと同様にぼくの意思とは関係なく、指の隙間からこぼれ落ちる砂のように逃げてゆくのではないかと恐れてしまうことになり、しかし「これは一種の防衛本能だと考えていて、これはこれでぼくの「リスクに備える能力」のひとつだと考えています(そのおかげで実際に危機を回避できたということもある)。

ぼくはランボルギーニ・ウラカンについて、誰からも、何からも援助を受けずに自分の努力のみで購入したという自負を持っていますが、しかし一方で「手に入れることができたのは幸運であったから」とも考えています。
そして、そのためにその「幸運」を失うことを恐れている、ということなのかもしれませんし、ウラカンがそもそも自分には行き過ぎたクルマで、ウラカンに自分がふさわしくないと考えているのかもしれません。



人生の転機はいつも突然やってくる

そしてこれは「モノ」だけではなく「人」や「動物」に対しても同じだと考えています。
我が家には3匹の猫がいますが、当然ぼくは猫たちについて「ずっと一緒にいられるわけではない」と最初から考えています。
そしてその「別れ」は思いもよらない形で訪れることもあり、ぼくは常にそれに備えている、ということに。

ただ、備えるといってもなんらかの物理的な準備をしているわけではなく、「そう認識している」だけで、しかしそう認識していると、今一緒にいる一瞬を大事にしないといけない、と思うわけですね。

cat

たとえば猫に呼ばれたとして、今なにか手が離せない。
呼びかけに応えるのは後にしようと考えることもあるのですが、もしかしたらその「後」はないかもしれない、とも考えます。
つまり呼ばれたのちに自分の用事を優先し、その後に猫のところへ行っても、猫はもう失われているかもしれない、ということですね。
そのため、ぼくは猫に呼ばれるとできるだけすぐに駆けつけるようにしています(そうせずに猫が”失われて”しまったら絶対に後悔する)。

ぼくは常にそういった不安や危機感を抱いて生活しているということになりますが、だからこそ「今この瞬間」を大事に生きないといけないと考えていて、それがぼくがモノや動物を大切にするひとつの理由なのかもしれません。

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