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【競売】エンツォ・フェラーリがアルファ在籍時代に走らせて多くの勝利をもたらした「P3(ティーポB)」が登場

| 自動車史上、価値の高いレーシングカー「アルファロメオP3」が競売に |

アルファロメオP3(ティーポB)がグッドウッドにて開催されるオークションへと登場予定。
設計はヴィットリオ・ヤーノで、一人乗りの「モノポスト(シングルシーター)」としてはかなり早い時代(もしくは最初)に設計されたものだと言われます。
車体重量は680キロ、エンジンはスーパーチャージャー付きの8気筒。

エンツォ・フェラーリとも関係の深い一台

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この「P3」はアルファロメオのレーシングチーム「アルファコルセ」によって実戦投入され、1932年にはイタリアGP含めて6つのGPで勝利するもその後にアルファロメオの経済的事情によって1933年のレースには不参加。
なお、この次期にフェラーリ創業者、エンツォ・フェラーリはアルファコルセのマネージャーとして活動しており(1932年までは自身もドライバーとして走っていた)、しかしアルファコルセがレース活動を行わなくなったことから、それまで自身で運営していたチーム「ソシエタ・アノニーマ・スクーデリア・フェラーリ」をアルファロメオのセミワークスとしてレースへと参加させたのがフェラーリの起源。

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1933年にはセミワークスとしてP3を投入したスクーデリア・フェラーリですが、1933年には11、1934年には18、1935年には16のレースで勝利。
ドライバーの中にはタツィオ・ヌヴォラーリ、ルイ・シロン(ブガッティ”シロン”の由来となった人物)も含まれ、アルファロメオP3全体で見ると46もの勝利をあげた、という記録が残っています。

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今回オークションに登場する個体はシャシーナンバー5007もしくは50007で、リチャード・シャトルワースによってドライブされたもの。
エンツォ・フェラーリがアルファロメオ在籍時代にセミワークスチームとして走らせたレーシングカーとして知られるだけに自動車史上高い価値を持つとされ、予想落札価格は最高で7億3000万円。

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ちなみにエンツォ・フェラーリの運営していたセミワークスチームははアルファロメオへと1938年に吸収され、翌1939年にエンツォはアルファロメオを退社。
その後4年はレース活動を法的に(アルファロメオによって)封じられており、その後の1947年にエンツォはようやくフェラーリを立ち上げてレースにカムバックすることになりますが、1950年から始まったF1グランプリにてアルファロメオを破ることになり、その際エンツォ・フェラーリが口にしたという「私は母親を殺してしまった」という言葉はあまりに有名ですね。

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