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死者83名、負傷者180名というモータースポーツ史上最大の惨事「1955年のル・マン」が短編映画化

2018/07/24

| 1955年、ル・マンでの大惨事がアニメーションにて再現 |

死者83名、負傷者180名という「モータースポーツ史上最大の大惨事」となった1955年のル・マン24時間レース。
今回、フランスのムービーメーカー、クエンティン・バイユー氏がこの事件を15分のショートムービーとして作成することになり、そのティーザー動画が公開されています。

同氏はルーブル美術館にて展示されたジャガーDタイプ(1995年に実際にル・マンを走ったもの)の美しさに衝撃を受けてその歴史的背景を調べ、その過程で行き当たったひとつの矛盾が自分の心を捉えて離さなかったと語っており、それが今回のアニメーション作成の直接の理由だ、と述べています。

「ぼくは、1955のル・マンを調べてゆくうちに、ふたつの対照的な写真を目にしたんだ。ひとつは人々がパニックになり、そこかしこに死体があるものだ。そしてもう一枚は、勝者がシャンパンで自らの勝利を祝っているものだ。このふたつが同じイベントで起きたなんて信じられるかい?どうしたらこんな悲劇が起きた場で喜べるんだ?」

事故の後もレースは続行、最後まで争われた

現代においては信じられないことですが、現実としてレース開催中にこの大事故が起きたにもかかわらずレースは続行され、かつ予定の24時間を消化し、かつ当時の大会新記録まで出ることに。
レース続行を決めたのは大会主催者で、「中止すれば帰宅者で道路が渋滞し、救急車が通れなくなるため」としており、この理由が本当であれば一定の理解を示すことも可能ではありますね。

レースのスタートは午後4時、そして事故が発生したのは午後6時28分。
ル・マンが開催されるサルト・サーキットは全長13.629キロと非常に長く、そのため事故を知らなかった観客もおり、実際に事故が観客に知らされたのは深夜になってから。
ゴールは予定通り、翌日の午後4時となっています。

この年はジャガー、メルセデス・ベンツ、フェラーリの対決に注目が集まり、そのほかアストンマーティンやポルシェも出場。
事故に事故について直接の関係があるのは3台で、「ジャガーDタイプ、その後ろのオースチン・ヒーレー100S、その後ろのメルセデス・ベンツ300SLR」。
ジャガーDタイプがピットインのために減速したところ(Dタイプは当時最新のディスクブレーキを積んでおり、減速力が強すぎて)オースチン・ヒーレー100Sがそれに追突しそうになったので進路を変更し、そして進路を塞がれたメルセデス・ベンツ300SLRがオースチン・ヒーレー100Sに乗り上げて宙を舞い観客席に落下して爆発炎上し、被害を拡大してしまうことに。



もちろんレース後には綿密な調査が行われ、大会主催者、ドライバーにも責任はない「レーシングアクシデント」という結論となっていて、実際にポール・フレール氏や、実際に事故に巻き込まれそうになったファン・マヌエル・ファンジオ氏も「ルール上は問題ない」と語っていて、まさに様々な条件が重なった上での不幸な事故であったのかもしれません。

ただ、今回のアニメーションで取り上げているのは「事故」よりも「生き残った人々」である模様。
直接の被害をもたらしたメルセデス・ベンツは残る二台のマシンをそのまま走らせ(棄権すると過失を問われるとの判断)、しかしあまりの事の重大さから(これには諸説ある)午前二時前に棄権。
メルセデスはジャガーに連絡を取りリタイヤを促すもジャガーはこれを拒否して走行を続け、そのまま1位でゴールしています(そしてこのときシャンパンを飲んで笑っているドライバー、マイク・ホーソーン氏の写真が撮られている)。続く2位はアストンマーティン、3位はジャガー、4/5/6位はポルシェ(マセラティ、ポルシェはリタイア)。

なおメルセデス・ベンツとル・マンとの相性は良くなく、1999年にもメルセデス・ベンツCLRが宙を舞うという事故が予選中、決勝前に2回も発生しており、その後メルセデス・ベンツはル・マンへの参戦を今に至るまで見送っています。

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