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祝!「自分のためではなく、社会のため、次世代の笑顔のために闘う」トヨタ創業者、豊田喜一郎が米国自動車殿堂入り

| トヨタからの自動車殿堂入りは3人目 |

トヨタは、トヨタ自動車の創業者「豊田喜一郎」が米国自動車殿堂入りを果たした、と発表。
加えて記念式典の様子も公開しています(トヨタからのプレスリリースはこちら)。
米国自動車殿堂の設立は1939年で、本拠地はミシガン。

他に殿堂入りしているのはヘンリー・フォード、ウォルター・クライスラー、トーマス・エジソン、フェルディナント・ポルシェ、本田宗一郎、リー・アイアコッカ、エンツォ・フェラーリなど18名。

日本からだとほかに田口玄一(1997年)、フェアレディZの父である片山豊(1998年)、梁瀬次郎(2004年)、ブルじストン創業者の石橋正二郎(2006年)ほか、なんとトヨタからはこれまでにも豊田英二(1994年)、豊田章一郎(2007年)の二名が選ばれており、今回の豊田喜一郎にて合計3名ということに。

単一自動車メーカーから複数名が殿堂入りしているのはトヨタのみなので、いかに米国においてトヨタが高く評価されているかがわかります。

トヨタから発表されたコメントを見てみよう

なお、今回の記念すべき殿堂入りを受け、豊田章一郎トヨタ名誉会長(すでに殿堂入り)、豊田章男トヨタ社長からもコメントが発表。
コメントを見るに、豊田喜一郎氏の考え方がいかに優れたものであったか、そしてそれが子々孫々受け継がれているということもわかりますね。

豊田章一郎名誉会長からのコメント
「米国自動車殿堂には1994年に豊田英二さんが、また、2007年に私も入らせて頂いておりますが、本年は織機の事業から自動車事業に挑戦した喜一郎の起業家としての創業時の功績が、自動車の母である米国から高く評価されての殿堂入りであり、大変光栄なこととして、嬉しく思っている次第でございます。

生前喜一郎は『自分は織機の技術では世界の誰にも負けない自信がある。しかし自動車については何もやらなかった。みんな部下や仲間がやってくれた』と言っておりました。その言葉には、『自動車事業は一人でできるものではない。多くの仲間が結集して汗を流してもらったからだ』という感謝の気持ちが込められておりました。

喜一郎は戦後志半ばで倒れ、喜一郎が目指した本格的な大衆乗用車の実現を見ることはできませんでしたが、その夢と志は、喜一郎と夢を共有した部下の方々に受け継がれ、1955年にクラウンとして実現致しました。

その後今日まで、私どもの発展の原動力となってきましたのは、『現地現物』、『価格は市場できまる。絶えざる原価低減努力』、『品質は工程で造り込む(自工程完結)』、『イノベーションへの挑戦』、そしてこれらを担う人材の育成であります。これらは、いずれも創業期から喜一郎がクルマ作りで取り組んでいた考え方、姿勢そのものであり、喜一郎はトヨタ自動車やトヨタグループに今日まで生き続けております」

豊田章男社長からのコメント
「喜一郎は57歳という若さでなくなりましたので、私は直接会ったことはございませんが、今回の受賞にあたっても、『米国自動車殿堂にも、みんなで入るのだ。自分は代表して名前があるだけだ』と言ったのではないかと思います。

私は、喜一郎とその仲間の方々について考えるとき、必ず思うことが二つあります。一つは、創業期を支えてこられた先人の方々のおかげで今のトヨタがあるという感謝の気持ちです。

もう一つは、それにも関わらず、先人の方々は、良いところをほとんど見ていないという無念の想いです。それだけに、憧れた米国の地で、自動車殿堂入りという形で、先人の方々の努力と挑戦の日々が報われたことを、自分のこと以上に嬉しく思います。

先人の方々が、日本の未来のために、当時は不可能と言われたクルマづくりに挑戦してくださったからこそ、今の私たちがあります。そのタスキを受け継いだ私たちがリスク、リスクと言って、何も挑戦せずに安全なことだけをしていたのでは、先人の方々にも、次世代の人たちにも申し訳がたちません。未来のモビリティ社会をもっと楽しく、もっと豊かなものにするために、私自身が先頭に立って闘い続けてまいります。そして、『自分のためではなく、社会のため、次世代の笑顔のために闘う』という創業の原点を、若い人たちにしっかりと継承してまいります」

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