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■駄文(日々考えること)

教師の体罰、教育のあり方について考える

2016/08/12


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教師の体罰が問題となっていますが、一部で言われる通り、かつては普通に体罰が行われていたわけです(ぼくはこれを容認するわけではありません)。

ぼくが通っていた高校には、暴力教師が一人いて、「暴力教師トミー」と呼ばれていたのですが、暴力度合いが凄まじかったですね。
道具や足は用いず、己の拳のみを使用して体罰を与えていたのはまだ評価できるかもしれませんが、この威力が凄まじく、鼓膜が破れる、歯が折れる、というのは日常茶飯事でした。

このトミー、やたらと熱血で生徒と感情を共有したがっていたことも記憶に残るところで(もしかすると本人も愛に飢えていたのかもしれない)、生徒に体罰を加えるとき、その生徒の不甲斐なさに涙をこぼすことが多かったのですね。
「なぜこんなことをやったんだ!なぜ俺に相談しなかった!俺は悔しい!俺も泣くからお前も泣け!!」みたいなことを叫び、生徒を直立不動の姿勢にさせ、「歯を食いしばれ!」と叫んで拳を振るうわけです。
これがまあ、殴られると本当に目の前が真っ白になり、火花が飛んで、気がつくと倒れているわけですね。気がつくまで自分が立っているのか横になっているのかわからないくらいの威力で、何度か殴られましたが、それはそれは恐怖としか言いようのない体験でした。

彼は国語の教師でしたが、学校では一日に一回はトミーの「歯を食いしばれェェェ!!」という声が校内に轟いていたと思います。
そしてトミーは何でも自分のしきたりに従わせるのが流儀でして、「自分はこうだからお前らもこうしろ」的なところが多かったことも記憶しています。
お気に入りの生徒を家に泊まらせて「強化合宿」を行うことがあり、幸か不幸かぼくもそれに参加させられたのですが(そこに拒否という選択肢は無かった)、「俺は夜にヒゲを剃る!だからお前らも夜にヒゲを剃れ!!」みたいな感じなのですね。
そして、お気に入りになればなるほど怒られる機会も増え(悪いことをしなくても。彼の流儀に従わなかったというだけで)、そのため、トミーのお気に入りにされてしまうと、学校生活がかなり暗いものになってしまうわけです。

高校生活において3年の間、彼はずっとぼくが通っていた高校にて教鞭を取っていましたが、ぼくの知る限り、その間彼に歯向かった勇者は現れませんでした。
お礼参りのようなものもなく、トミーはその間君臨していたわけですね。
今考えると、生徒からしてもトミーの怒り方からは「自分が本当に悪いことをしてしまった」という感情を持ってしまい、ある種の罪悪感を感じるものがあったと思います(それは多感な十代の少年からすると錯覚だったのかもしれませんが)。
今考えると、あの頃ぼくらは、あの拳を何か神聖なものとして受け入れていたのかもしれない、とすら思います。
そのため、不思議とトミーのことをひどく言う生徒はいなかったようにも記憶しています。
ぼくはといえば、こうして記憶に強烈に残ってはいますが、とくに悪くも尊敬もしていません。あの鉄拳の破壊力は凄かったなあ、ということくらいですね。
ただ、あの鉄拳に耐えてきたからこそ他の苦痛にも耐えることができるようになったのではないかという気もしており(他にも殴られる機会、苦痛を受ける機会 などありましたが、あの鉄拳に比べるとどれもヌルい)、できればそれを受けること無く過ごしたかったですが、鉄拳制裁を受けたことは今となってはいい思い 出です。

もう一方、オーツという教師がいて、これも暴力教師だったのですが、暴力を振るうスタイルが「生徒を正座させて竹刀で殴りつける」というもので、生徒を屈服させて屈辱感を与える、というものでした。
これは生徒の反感を非常に買いまして、オーツは案の定卒業生に刺されましたね。
ぼくは直接オーツには関わりがありませんでしたが、なんどか体罰の場を目撃しており、そこには尊厳や神聖さというものはなく、傍目にも気分の悪いものでした。

同じ体罰でも、トミーの場合は生徒を思いやる気持ち、自らに対する責任が感じられましたが(たとえそれが押し付けであり一方通行であったにせよ)、しかしオーツの場合は単なる暴力と制裁でしかなかったように思います。
それでもトミーの行為は許されるべきものではないと考えていますし、一方的なものの見方しかできない、偏狭な考え方に基づいたもので、ぼくがそうありたくない、と考える一つの形ではありました。

風のうわさでは、ずいぶん前に、オーツは刺された後にすっかり人間が丸くなり、トミーは相変わらず暴力を振るっていたが時代の波に押されて暴力を振るうことが出来ないポジションに異動させられた、ということを聞いています。

教師で忘れることができないのは「カックン高倉」という先生。脚を悪くされており、歩くときに足がカックンとなるので、「カックン」と呼ばれていたのですね。
今考えると、無神経なあだ名で身体的特徴をひどく言ってしまったと反省することしきりで、本当に申し訳なかったと考えています。
カックン高倉先生において、何が記憶に残っているかというと、生徒ひとりひとりの事情を考えてくれたこと。
トミーがすべての生徒に同じ行為、とくに自分と同じ行動を求めたのに対し、高倉先生は生徒ひとりひとりの考え方や特性を理解し、それに合わせた指導をされていました。
それはあまりに理想的に過ぎる、ということで一部教師の反感を買っていたり、逆に信奉者もいたりという先生でしたが、初老で、とにかく目立たない先生でしたね。
当初からその考え方であったのか、もしくはなにか想うところがあってその指導方針を採用したのかはわかりませんが、それは容易なことではない(とくにバカ盛の十代の少年少女を理解し、理解されようとすることは)と今になってわかり、大変尊敬しています。

ぼくはかつて神童と呼ばれており、学校の教育レベルに逆の意味でついて行けませんでしたので、高倉先生は「お前は学校に来なくていいから家で自分で勉強し ておけ。卒業できるようにはしてやるから」と気遣ってくれ、おかげで高校3年のときはほとんど学校に行かずにすんだ、ということもあり、記憶に残る教師で はあります。

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