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車の評価基準について考える。車は性能の高低ではなく、作られた背景で考えるべき?

2017/02/09

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ちょっと車の選択と言うか評価の基準について記載してみます。
ぼくは基本的にどんな車でも優れている点がある、と考えています。
自動車はそう簡単に作ることができるものではなく、しかし実際に製品化されているということは、それに至るまでに「そうとう綿密な」企画を経ているはずだ、と思うのですね。
そして、その企画の中では、その車のターゲット(ペルソナ)や用途について激しく議論されているはずだ、とも。

そのターゲットはあるときはファミリーかもしれませんし、働く女性(独身)かもしれませんし、新卒社員(男性)かもしれませんし、サーファーかもしれませんし、スキーヤーやボーダーかもしれませんし、キャンパーかもしれません。
用途としてはサーキット走行かもしれませんし、豪雪地域の移動手段かもしれませんし、荷物の運搬手段かもしれませんし、見栄を張るための道具かもしれません。

そういった感じでいずれの車も様々な前提で作られていて、それを抜きにして語ることはできない、と考えるわけです。
たとえば軽自動車(N-BOXとする)とフェラーリを同列に語ることはできず、スタイリングや走行性能を見ると「フェラーリのほうが優れ」ますが、積載性を考えるとN-BOXのほうが優れるわけですね。
視点や用途を変えると簡単に優劣がひっくり返るのが自動車であり、だからこそ面白い、とぼくは考えています。

ぼくは試乗が大好きで、それはその車が「どんな考え方で作られたんだろう」ということを知ることができる機会だと捉えているためです。
そして、試乗を通じてそういったメーカーや設計者の考え方に触れ、時には想像し、それが合致したときに「購入」となるのですね。

そのため、ぼくの車遍歴は様々で、ランボルギーニもあれば軽トラもありますし、ハイエースや日産パオのようなパイクカー、ミニなどのコンパクトカー、イヴォークなどのSUV、電気自動車までもがそこに名を連ねます。

つまり、ぼくは「デザイナーや設計者の意図が明確に伝わってくる車」が好きなんだろうなあ、と自分で自分の好みを認識しており、そうでない車にはいかに性能が高くとも、いかにスタイルが良くとも購入には至りにくいんでしょうね。

正直言うとぼくは「珍車」が好きでたまらないということになりますが、「珍車」とは個性が強い車と言い換えることができ、それは「多くの人が購入することを考えず、一部の人にだけ想いが届けばいい」という尖った思想を持つ車とも考えられます。

現在ではそういったデザイナーや設計者のワガママが許される時代や環境ではなく(マツダはわりと許されていそう)、効率化や共有が重視され、そこで自動車の個性が失われているのではとも考えますが、そのために今後は「珍車」が誕生するのは期待できないかもしれません。

なお、ぼくの記憶に残る珍車とは、いすゞヴィークロス、ルノー・アヴァンタイム、フィアット・ムルティプラ、トヨタbBオープンデッキ、日産パオ、トヨタFJクルーザー、ホンダ・エレメント。
微妙ですがトヨタ・セラ、日産ジューク、ダイハツ・ミゼットⅡは選外となり、これは「狙いすぎた」という意図が(ぼくにとって)見え隠れするため。

そんなわけでぼくはけしてハイパフォーマンスカーが好きというわけではなく、「はっきりしている車」が好きなだけということですが、上で述べた通り、どんな車にも設計された意図があり、必ずいいところがある、と考えています。
よって試乗の際には「設計者の意図」に加えてその「いいところ」を探すわけですね。

同じハイパフォーマンスカーについても、たとえばメルセデスAMG GTはドアが短くサイドシルが低くなっており、これは「狭い場所でもドアを開けやすく乗降性を意識したんだろう」と想像できますし、逆にマクラーレンだとそのぶっといサイドシルは「このパワーを受け止めるにはこれくらいのサイズが必要なんだろう」という感じ。
つまりメルセデスAMG GTは開発者が「日常性」を意図したのであり、マクラーレンは日常性を捨ててまで走行性能を取ったんだろう、ということが想像できますが、これはどちらが優れるかではなく、どちらに共感できるか、どちらが自分に合うか、ということになります。

メカニズム的なところだとAMG GTの「ホットインサイドV」は革新的ですし、ポルシェ718ボクスターの「回転を落とさない」システムは秀逸。
後者について、ポルシェというと「回転落ちの速さ」が本来の特徴ではあるのですが、ターボエンジン化(とくに小排気量)にあたって回転が落ちてしまうと再加速の際に加給がかかりにくくなり、ポルシェらしい加速を得られなくなるわけです。
そのためにポルシェ特有の「回転落ち」を捨ててまで加速にこだわったのだとぼくは考えていますが、試乗を通じて「回転落ちが遅い」と感じたとき、「なぜ回転落ちが遅いのか」を考えるわけですね(それで考え至ったのが上記の結論ですが)。

このとき「回転落ちが遅いのでダメ」とバッサリ断じるのは容易なことですが、あのポルシェのエンジンの回転落ちが遅いのには理由があるのでは、と考えるのも自動車を理解するひとつの方法だと考えています。

ほかに最近感じたのは「マツダ・ロードスター」と「アバルト124ロードスター」。
実際に乗ってみると(同じマツダの製造ですが)アバルト124ロードスターのほうが走行性能が高いようには感じます。

ですが、「なぜか」ということを考えると、そこには(たぶん)マツダの「多くの人に楽しんで欲しい」という想いがあったと考えていて、ロードスターは「できるだけ安い価格でマツダが納得できる性能ギリギリ」の線までマツダが頑張った(つまり価格を抑えて多くの人に買ってもらい、楽しんでもらいたかった)結果なんだろうと考えています。
アバルト124ロードスターもマツダのチューニング(アバルトがチューンしたわけではない)と聞いており、つまりは「価格が上がっても」良いのであればマツダ・ロードスターもアバルト124ロードスターと同じように作れるわけですね。

ですが、それだと「買える人」も限定されますし、初心者にとっては性能もオーバースペックかもしれません。
よってマツダはロードスターを「最低限の価格にできるように、しかし性能は必要十分なところに」持って行き、ロードスターを購入した後にユーザーが自分の腕とともに車を(チューンして)成長させて欲しいと願ったのではないかと想像したのです。

こう考えると「アバルト124スパイダーのほうが優れる」と一概に論じることはできませんし、マツダを「察して」みるのもひとつの自動車愛かもしれません。

よくわからない話にはなりましたが、ぼくが考えるのは「どんな製品にでもそれを作った人の魂が篭っている」と考えていて、その魂が自分に響くかどうかが重要なのだ、と考えています。

そして、その「響き方」は人によって千差万別で、だからこそぼくには響かなかったものでもよく売れていたり、その逆もあるのでしょうね。
その意味では、車を評価するときにスペックだけではなく車それぞれの性格を理解する必要があるのと同様、人についてもその性格や考え方も理解する必要があり、だからこそぼくは人の考え方も自動車同様に否定したくはない、と考えています(人間だってスペックだけで語られたくない)。

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