ギズモードにて、ベスト・キッドにおける「諸悪の根源はダニエルさんだった」という記事。
たしかに思い起こしてみるとダニエルさんの若気の至りがすべてのトラブルの元凶ではありますね。
ただ、この映画が言いたかったことは、カラテを題材としていながらも「暴力ではなにも解決しない」ということ、そして「人が何かに負けるとき、それは相手の力ではなく己の弱さに負ける」ということだと認識しています。
よってダニエルさんの精神的未熟さが原因、というのは至極当然(それを描きたかった)なのかもしれません。
ダニエルさんはいじめられっ子だった頃、なんとかして仕返しをしたいと考えて空手を習い、力をつけるとさっそく仕返しをします。
そこで物語は解決せず、結局は仕返しが何倍にもなって自分のところへ戻ってくるわけですね。
ほかにも自分の力を無意味に誇示したがったり、ととにかく若さが暴走。
もちろんこれは「ありがち」なことで、ぼくもダニエルさんの立場であれば(他人を超える力を持てば)同じようにしていただろう、と思います。
力を持てば当然それを使いたくなりますし、とうぜん気に食わないヤツがいればぶっ倒したくなりますよね。
ですが師匠であるミヤギさんはけしてその力を使うなというわけで、そこでもダニエルさんは「なぜ努力して身につけた力を使ってはいけないのか」と反発。
そんなこんなで自分の未熟さ故、あちこちで問題を起こしては因果応報的に痛い目にあったりして、やっとダニエルさんはミヤギさんの言うことを理解できるようになり、空手における「己を鍛える」意味を知るのですが、そこでまた行き当たるのが自分の心の弱さ、という壁。
試合で強い相手に当ってボコボコにされたとき、「ダメだ!怖いよ!!」と泣いて逃げ出しそうになったりするのですが、そこでもミヤギさんに「人はなにかに負けるとき、力ではなく己の心の弱さに負ける」ということを言われなんとか立ち直るわけですね。
ぼくがこの映画を見たのは高校生の時でしたが(リアルタイム)、それでも「空手というのは自分の心の弱さを鍛えるためのものであり、力というのは相手をねじ伏せるのではなく、自分の大切なものを守るためや、トラブルを避けるため、つまり防御に使うものだ。力はそのための精神的余裕である」というメッセージはよく理解できたことを記憶しています。
そして、力に屈するのではなく、その力に付随する痛みや恐怖に対して人は打ち負かされるのであり、それに勝てる強い心が必要だ、ということも。
そのため、ぼくの人格形成にあたり、「ベスト・キッド」は大きな影響を与えた作品だと言って良いでしょう。
もちろんそれはこの映画を見た多くの人が感じたところで、だからこそ非常に人気のあるシリーズになったのでしょうね。
なお、2010年のリメイク版(ジェイデン・スミスとジャッキー・チェン)では、オリジナル版のような「真に鍛錬すべきは己の心であり力ではない(むしろ心が伴わない力は災いでしかない)」「力では何も解決しない」ということではなく、むしろ暴力によって問題を解決しようとするところがあり、(大好きな作品のリメイクだっただけに)ちょっと残念だったなあ、と思います。