■駄文(日々考えること)

人生の転機というか、ちょっとしたきっかけのようなもの(3)

投稿日:2016/07/09 更新日:

人生の転機は自分でつくることもできる

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先日、いくつか「人生の転機」について触れましたが、それ以外にもちょっとした転機などはたくさんあります。
ぼくが思うのは、行動だけではなく、ほんの一言だけでも人生が変わってしまう可能性がある、ということ。

何気なく放った一言が、その後の人生を大きく左右することがあるわけですね。
そして、変化はもちろん良い方向、そうでない方向があります。

なにか現状に不満があれば、まずは動いてみよう

言ったほうがいい?言わないほうがいい?いろいろあると思いますが、「言わなければ始まらない」ことも確かですね。
バットは振らなけりゃ当たらない、宝くじは買わなけりゃ当たらない、というわけで何かを変えようとすれば、少なくとも行動するか発言するかは必要になってくると思うのです。

知っていること、わかっていることでも、それを言わなければ、周囲からは「それを知らない、わかっていない」と解釈されても仕方はありません。
もちろん意図的にそうしたい場合(変化を望まない場合)は別ですが、少なくとも何かを変えたい場合は、なんらかの行動を自ら起こさないと、周りは何もしてくれない、ということです。

なので、今自分が置かれている状況に不平不満ばかりを言ったり、他人に当たったり、というのはぼくの人生では考えられません。
なにか不満があるのであれば、何かを変えたいのであれば、自分で動かないとはじまらない。
そう考えているわけですね。

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昔、ぼくが「ああいう風にはなりたくない」と考えていた姿があります。

それはやけ酒を飲んだり、居酒屋で上司の悪口を言っているような大人ですね。
そんな大人にだけはなりたくない、なにもかも人のせいにして酒に逃げるような大人にだけはなりたくない、そう考えて生きてきたわけです。

ただ逆に「なりたい自分」というのが無いことも事実です。
たとえば、何かになりたくてもなれるわけでもないし、他の誰かになりたくてもなれるわけじゃない。
どこまで行っても自分は自分でしかなく、自分から逃げることも、自分以上の何かになることもできない、と考えています。

「デイズ・オブ・サンダー」で、トム・クルーズの”なりたいものなんてわからないけど、なりたくないものなら言える”という台詞がありましたが、まさにそんな感じですね。

なので、ぼくは他人に憧れることも、他人のようになりたい、と考えることもありません。
自分は自分でしかなく、他人に憧れたり真似をするだけ人生の無駄、と考えているわけです。

要するにぼくは極端に自己中心的な人間ということになりますが、今までのいくつかの転機を考えても、「環境」は変わっても「自分自身」は変わっていないんじゃないか、と今人生を振り返って思うわけですね。

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結局、どこまで行っても自分は自分だ。他の誰かになることはできない

強いて言えば、「なりたい自分」は自分自身でありつづけること、ということかもしれません。
何かしたいことがあっても日和って他の人の意見や世間体に流されたりせずに、自分を信じて自分のやりたいことをやる。これしかないと考えています。

人生何が起きるかわかりませんし、そうやって悔いなく生き、自分の人生は(自分の責任において)自分で切り拓く。
そう考えて生きたほうが、何かに守られる人生よりは、ぼくにとってはずいぶん楽なのです。

なにかに挑戦しなくて失敗しても誰かが責任を取ってくれるわけでもないですし、であれば何かに挑戦し、たとえ失敗したとしても自分で責任を取ったほうがまだマシ、と考えるのですね。

おそらく、「人生の転機」は、ぼくらの目の前を、ぼくらが考えるよりも多分に多く通りすぎているのだと思います。
それに気づかないか、気づいても気づかないふりをするか、手を伸ばして掴むのか。
それはぼくら次第次第ですし、目の前に、「外の世界につながるドア」が示されたのであれば、そのドアを目の前にして迷ったり引き返すのではなく、ためらわずに外へ出てみたい、とぼくは考えています。

そのドアの向こうには、どんな素晴らしいものが待っているかわからないのですから。

 

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