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24年もメルセデス・ベンツのチーフデザイナーを務め、「ベンツらしいベンツ」をデザインしてきたブルーノ・サッコが亡くなる。「メルセデスは私の人生そのものでした」

24年もメルセデス・ベンツのチーフデザイナーを務め、「ベンツらしいベンツ」をデザインしてきたブルーノ・サッコがなくなる。「メルセデスは私の人生そのものでした」
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| ブルーノ・サッコは「重厚で強いベンツ」をデザインし、そしてモデル間によって個性を持たせることの重要性を理解していた |

メルセデス・ベンツは「かなり長い間」同じデザイナーをトップに据えることが少なくない

さて、メルセデス・ベンツが「1975年から1999年までメルセデス・ベンツのチーフデザイナーを務めた、ブルーノ・サッコ氏が亡くなった」と発表。

イタリア生まれ、享年90歳であったブルーノ・サッコ氏は「若き日に見た1950年モデルのスチュードベイカー・コマンダー・レガルに衝撃を受け」カーデザイナーを志すことになりますが、50年代初頭に機械工学を学び、その後カーラッツェリア・ギアで職を見つけ、さらに1958年にはメルセデス・ベンツに第二スタイリストとして採用されています。

実のところ、ブルーノ・サッコ氏とメルセデス・ベンツとの関係はその1年前に遡り、1957年にメルセデス・ベンツのボディテスト部門の責任者カール・ウィクフェルト氏と出会ったことが発端であったとされ、メルセデス・ベンツに入社したのちは優れたデザイナーとして知られるポール・ブラッキ氏と共に働くことに。

なお、そこでは「ロータリーエンジンを搭載した」C111およびC111-IIの設計にも大きく関与したと紹介されており、まさに同社の生き字引のような人なのかもしれません。

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ブルーノ・サッコの持ち味は「先進的なスタイリングと空気力学的形状」

ブルーノ・サッコ氏の代表作としてはW123シリーズが挙げられ、これは史上最も成功したメルセデス・ベンツだと広く見なされています。

1975年にチーフエンジニアに任命された後、ブルーノ・サッコ氏はスタイリング部門の責任者としてW126(Sクラスセダン)C126クーペのプロジェクトを担当し、これらはその先進的なスタイリングと空気力学的形状をもって高く評価され、とくに126モデルシリーズの全デザインについては「私がメルセデス・ベンツのために成し遂げた最高のものです」と語ったことも(引退後も彼は560SECを愛用していた)。

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ブルーノ・サッコは、メルセデス・ベンツにとって「強力なイメージを守ることが非常に重要」だと考え、さらに「メルセデス・ベンツは常にメルセデス・ベンツに見えるべき」だとも主張し、「決して時代遅れに見えるべきではない」という強い信念を持っていたことでも知られ、この理念は、今でも多くの古いモデルが現代的で美しい印象を与えていることからも明らかです。

そして「メルセデス・ベンツは常にメルセデス・ベンツに見えるべき」という思想から、モデル(クラス)間の類似性の重要性に大きな意義を感じており、その反面では各車両が独自の存在感を持つことの必要性も理解していたとされ、実際に初代SLK(R170)は、兄貴分であるSLとは異なるユニークな外観を持ちながらも、メルセデス・ベンツとして認識できるデザインを持っていますが、これは「より小型のロードスターが大排気量兄弟モデルの販売を食い合わないようにするための配慮」であったといい、つまり同氏は商業的な戦略にも長けていたのかもしれません。

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なお、ブルーノ・サッコ氏が手がけた主な車両には「W126 Sクラス(1979-1991/1994)」「C126 Sクラスクーペ (1981-1991)」「W201 190シリーズ(1982-1993)」「W124 Eクラス(1984-1997)」「W210 Eクラス(1996-2003)」「R129 SLクラス(1989-2002)」「W140 Sクラス(1991-1998)」「W220 Sクラス (1998-2005)」「R230 SLクラス(2002-2011)」「W163 MLクラス (1998-2005)」が存在し、現役時代には「メルセデスは私の人生そのものであり、私の時間を100%代表します」とも語っていますね。

「ブルーノ・サッコは、そのアイコニックなデザインと美学への情熱で、会社に永続的な影響を与えました。ブルーノ・サッコを失ったことは、卓越した人格と印象的な美学者を失ったことを意味します。彼の家族と友人に心からお悔やみ申し上げます。」

メルセデス・ベンツグループAG チーフデザインオフィサー ゴーデン・ワグナー

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    参照:Mercedes-Benz

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