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F1マシン最高額での落札か?シューマッハが4度走り、4度優勝した「無敗の」1998年フェラーリF300(シャシーナンバー178)が競売に

| F1マシンの高額落札ランキングの上位はほとんどがシューマッハのマシンで占められている |

その中でもこのF300はもっとも高い価値を持つと考えていいだろう

さて、これまでにも数々のフェラーリF1マシンがオークションに登場していますが、今回はそんな中でもとりわけ高い価値を誇ると考えられる一台が登場予定。

これは1998年に使用されたフェラーリF300で、生産された9台のうちの1台(シャシーナンバー187)となっていますが、なんと「4レースを走り、4レースすべてに優勝した」という無敗の一台です(オークションを主催するRMサザビーズによると、無敗記録を持つF1マシンはこの1台のみらしい)。

F300はフェラーリ再浮上のきっかけを作った一台

当時スクーデリア・フェラーリは1979年のコンストラクターズチャンピオン、1982年のドライバーズチャンピオンを最後にタイトルを獲得できない状態であったものの、1996年にベネトンから連続チャンピオンドライバーのミハエル・シューマッハを獲得したことから大きくその運命が変わることになり、2000年代には(当時)前人未到の6連勝を記録しています。

ミハエル・シューマッハの優れていたところはドライビングスキルのみではなくマシン開発スキルにも優れていたことで(マシン開発スキルがいかに重要であるかは、F1黎明期の優れたドライバーの多くが自身でマシン開発に携わり、優れた開発者でもあったたことからわかる)、このあたりはネットフリックスの「シューマッハ」でも描かれている部分ですね。

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シューマッハがフェラーリに移籍した当初は、ウィリアムズやマクラーレンといったライバルに対抗するためのマシン開発から始める必要があったそうですが、そこでフェラーリは1997年に引退したジョン・バーナードの後任として、デザイナーのロリー・バーンを招聘。

ローリー・バーンは当初、ジョン・バーナードが1996年に開発したF310をF310Bとして1997年シーズンに向けて開発したものの、シーズン終了後のレギュレーション変更により、1998年は新型車での参戦が義務づけられることとなってしまいます。

果たして1998年1月7日、フェラーリは800人を超えるジャーナリストをマラネロに招き、このF300のアンヴェールを行うことになりますが、ここではミハエル・シューマッハはじめエディ・アーバイン、当時のフェラーリ社長であったルカ・ディ・モンテゼモーロ、スクーデリアマネージャーのジャン・トッドらが顔を揃えて盛大にお披露目が行われることに。

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このF300には800馬力を発生する3リッター80度V型10気筒エンジン(ティーポ047、最高回転数17,500rpm)が搭載されており、ウィレム・トートの設計による新しいペリスコープ排気システムは7速シーケンシャルギアボックスから熱を排出するという構造を持っていたほか、排気系パーツのレイアウト変更によって、コックピット後部のシャーシ部分を小さくすることができたという特徴を持っています。

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加えて車幅の7インチ縮小、溝入りタイヤの採用(スリックタイヤが廃止された)、ブレーキシステムの構造・サイズの変更といった新ルールにも適合する必要があり、これらへの対応のほか、エアインテークパネルの配置を数センチながらも前方に移動させたり、フロントのショックアブソーバーのマウント方法を垂直に変更したり、カーボン配合のディスクブレーキが採用されたのもこのモデルだとされています。

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F300はシーズン中も改良が続けられる

そしてこのフェラーリF300はシーズン中にも絶え間なく改良が続けられ、このシャシーナンバー187は9台製造されたうちの7番目に位置し、1998年のシーズン中盤になって投入されることとなっていますが、完成したのは1998年はじめだとされ、初参加はモナコGP(1998年5月23-24日)だという記録が残り、しかしこの際にはスペアカー(Tカー)として持ち込まれ未使用に終わっています。

その後カナダGP(ジル・ビルヌーブ・サーキット)にて初めて走行することになり、22台の参加中生き残ったのは10台というサバイバルレースにおいて、2位のジャンカルロ・フィジケラに16秒もの大差をつけて優勝しています(ファステストラップも獲得)。

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さらには6月28日、マニクール・ヌヴェールサーキットで開催されたフランスGPでは2番グリッドからスタートして優勝、7月12日のイギリスGPでも2番手からトップでチェッカーフラッグを受けることに。

なお、その次の8月16日のハンガリーGPで走ったのは別のシャシーナンバー188ですが、こちらもミハエル・シューマッハーが優勝し、9月13日に行われたイタリアGPにてこのシャシーナンバー187が復帰してまた優勝。

このイタリアGPでの勝利によって、ミハエル・シューマッハはF1通算33勝目を挙げ、ドライバーズタイトルもミカ・ハッキネンと同ポイントの80ポイントにまで押し上げることに成功しています。

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ただ、その後の鈴鹿グランプリ(1998年11月1日)では別のシャシーナンバー189を使用したとされ(この時代、3戦以上のレースを戦うのは稀だったようだ)、この際には残念ながらリタイヤを喫し、惜しくもドライバーズ、コンストラクターズタイトルともにマクラーレンに次ぐ2位にとどまっています。

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フェラーリは199年9月までこのシャシーナンバー187を所有し、その後に個人オーナーへとスペアパーツとともに秘密裏に売却していますが、そのオーナーは今日に至るまで大事にこのF1マシンを保存しており、今回”歴史上”はじめて一般に向けて売りに出されることとなったわけですね。

文字通りこれ以上の勝利を積み重ねたフェラーリF1マシンは皆無であり、おそらく、近代のフェラーリF1マシンにおいてこれほどまで高い価値を誇る例はほかにないと思われ、そのため予想では最高800万ドル(日本円で約11億円)で落札されるのでは、と見られています。

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参照:RM Sotheby's

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