| 日産は70年前に電気自動車を実用化していた |
日産が、70年前に東京電気自動車によって製造されたEV「たま電気自動車」と、最新EVであるリーフとを共演させた動画を公開。
過去に日産がこの「たま電気自動車」のレストアを行ったというニュースは知っていましたが、実際に走っている姿を見るとやはり衝撃的。※東京電気自動車はのちに日産と合併することになる「プリンス自動車」の前身
なお日産によると、たま電気自動車を製造した背景として、「終戦直後で石油が不足しており、しかし工場が破壊され、家電も普及していなかったので電力が余っていた」という事情があったそうです。
当時、日本政府は電気自動車の開発を奨励していた
当時日本政府も電気自動車の製造を奨励していたとされ、いくつか進行自動車メーカーが存在したそうですが、この「たま」は航続可能距離96キロ、最高時速35キロという当時トップの性能を持っていた、とのこと。※「たま」は生産工場のあった「多摩」に由来
初代は1947年登場、そして1951年頃までタクシーなどに使用されたそうですが、スペックとしては全長3035ミリ、全幅1230ミリ、全高1618ミリ、出力は4.5馬力、重量は1100キロ。
現代での1100キロは相当に軽量ですが、当時の基準や、このサイズを考慮すると「かなり重い」車であったと思われます。
このたま電気自動車は日産の有志がレストアし、現在は「ヘリテージコレクション」に所蔵されているようですね。
なお、意外と「過去に電気自動車を作っていた」メーカーは多く、ポルシェ博士の作った最初の車は「電気自動車」である”ローナーポルシェ”。※しかもインホイールモーター
これは1899年の製造であり、およそ120年の時を経てポルシェは「EV(ミッションE)を再び発売」するということに。
そのほか、トヨタがパナソニックとの提携を発表した際のプレスリリースによれば、トヨタ創業者である豊田佐吉は1925年の時点ですでに「高性能バッテリーの開発」を行おうとしていた、とあります。
社内でこれを開発したものには当時のお金で「100万円(現代の貨幣価値だとかなりの金額)」の懸賞金をかけ、その条件とは「100馬力で36時間運転を持続することができ、かつ重さは225キロ、容積は280リットルを超えず、工業的に実施できる」というもの。
これは「佐吉電池」と呼ばれるようですが、現代に至るまで「開発できていない」とのこと。
とても現在では信じられないような話ばかりですが、意外や自動車メーカーとバッテリーとの関係性は深かった、といえそうですね。
それでは動画を見てみよう
こちらが「たま電気自動車」が実際に走行する姿や内外装を見ることができる動画、「The roots of Nissan’s leadership in Electric Vehicles」。