ガヤルドはぼくにとって一つのターニングポイントとなった車だ
ガヤルドは、ぼくにとって非常に大きな、本当に大きな買い物です。
ガヤルドを購入したとき、ガヤルドの価格はぼくの年収の倍を優に超えていたので、これもボクスターのときと同様、いや絶対的な金額を考えるとそれ以上にリスキーな買い物です。
維持費もいくらかかるかわからず、保険も高額で、eギアの磨耗や1万キロで磨り減ってしまうタイヤ、さらに値下がりの懸念。
どれを取っても安心できない、当時のぼくにとってはリスクの塊のようなものですね。
それでもなぜ購入したのか、と言えば「挑戦したかったから」としか言いようがありません。
ボクスターの購入時に挑戦をしたように、ガヤルドを購入することで再び挑戦してみたかったわけですね。
なんらかの大きなリスクを背負い込むことで、それまでの数年は安全に歩んできた人生に変化をもたらしたかった、ということもあります。
ガヤルドはお金のかかる車だが、購入を悔いたことは一度もない
ガヤルドは維持費が非常に高額で(想像していたよりもやや高い)、乗る環境など気を遣ったりもしますが、それでも、それらを補って余りある満足感があるのですね。
時々記載してはいますが、ガヤルド購入を後悔したことは一度もありませんし、誰にも頼らず自分の稼いだお金でガヤルドを購入した、そしてガヤルドが自宅のガレージにある、ということだけである種の達成感と満足感を得ることができるわけです。
ときどき、「年収と同じ金額の車を買うと絶対に後悔する」という話も聞きますが、ぼくの場合は後悔するどころか更に上を目指しているので、なんらかのモチベーション向上になっていることは間違いなさそう。
ぼくは、「その金額の買い物ができないと、その金額を稼ぐことができない」と信じていて、3000万円稼ごうとするならば、(ローンでも何でも)3000万円の買い物をするだけの根性がなければ稼げないんじゃないか、と考えるのですね。
その金額の車を購入することで、その車にふさわしい自分になろうとする、そうすることで自然とお金がついてくるのだとも信じています(実際にぼくはそうやってきた)。
まだまだ開けるべき扉は多く残されている
とくにガヤルド購入においては、その金額(3000万円)をモノともしない強靭な精神力を養うのにずいぶん役立ったと思いますし、ランボルギーニというメーカーのあり方については大いに考えさせられるところもあり(特にアヴェンタドール以降のフッ切れ方)、「高いけれど、購入してよかった」と心から思える買い物でもあります。
どんなに高い食べ物でも、食べ終わったときに金額以上の幸福感を感じるものがあるように、しかし高い食べ物を食べたときに必ず幸福になれるわけではないように、金額という数字では表せない価値がそこにあるわけですね。
そのような理由で、ぼくにとってポルシェやランボルギーニという車は人生を見つめなおし挑戦の機会を与えてくれた車だと考えていて、両者には感謝に近い気持ちもあるのです。
車は無機質の塊ですし、車に魂があるとも考えてはいませんが、ぼくは常に車に対しては敬意と感謝を忘れずにいよう、と考えています。
そして、かつて偉人が「われわれはここまで来た。しかし、まだ開けるべき扉は数多く残されている」と言ったとおり、ぼくにとっても開けるべき扉はまだまだ残されており、ぼくの挑戦はまだまだ続く、と考えています。