メディアが多岐にわたるについて、自動車評論家の数も増えています。
そして、色々な角度でレビューを行う人も増えていますね。
ぼくは常々、自動車評論家と、車を使う一般の人(ぼくら)との間にはギャップがあると考えています。
今は昔ほどではないですが、どんな自動車でも箱根ターンパイクに持ち込んで走行性能を試したり(走行性能を標榜していないミニバンや軽ですら)、という「自動車=機械としてよく出来ているかどうか」を評する傾向にあったと思います。
すべての人が走りにこだわるわけではないですし、中には移動手段としてしか考えていない人、モノや人がどれくらい乗るかというところを基準にしている人、など様々です。
機械としてよく出来ているかどうか、というのは「昔」の基準だと思うのですね。
まだ自動車の技術が未発達だったころはそれが「実用」たるかどうかの検証は重要だったと思いますが、今はどんな自動車でも「踏めば不足のない加速をし、ハンドルを切ればまず曲がり、ブレーキを踏めば止まる」わけです。
エンジンが非力だったころ、シャシー技術が不完全だったころ、安全デバイスが普及していなかったころはそういったテストが重要だったかもしれませんが、今はそれが高いレベルで満たされており、従って「そこから上がどうか」ということだと思うのですね。
そこから「上」というのは、アウディの演出するような「プレミアム」であったりする、とぼくは考えます。
高級ブランドとプレミアムブランドの違い、というのはなかなか理解されにくいのですが、両者には大きな差があるとぼくは考えます。
高級ブランドというのは、文字通り高級であり、品質や材質、すぐれたクラフトマンシップによって作られた品々である、と認識しています。
対してプレミアムブランドとは?品質や材質が普遍的であっても、プロモーションによって製品以外の付加価値を生み出し、それを消費者の満足度のひとつとしているブランドだと考えます。
この「製品」と「製品以外」というのは非常に重要で、消費形態はいわゆる「モノ」から「コト」へ移っているとはよく言われますが、日産がかつてTVCMで使用していた「モノより想い出」というキャッチコピーもそれを表しているかもしれません。
自動車が優れるかどうか、ではなくその自動車を使って何が出来るのか?
どういった精神的充足度や楽しみがえられるのか?
そこが重要だと思うのですね。
そして、「その車に乗って何が出来るのか」は車ごとに違うのであって、それを同じ尺度(機械的な出来栄えという)ではなく、車ごとに設計思想を理解して解釈すべきだと思うのですね。
つまり尺度は「自分」ではなく「車」にすべきで、その車の作られた目的がもっとも重要であり、決まった尺度に車を当てはめるべきではない、ということです。
たとえば積載性を重視して何かを犠牲にした車もあるでしょうし、であればその車の「何かを犠牲にして得たメリット」を伝えるのが評論家ではないか、とぼくは考えるのです。
今のところ、そういった尺度で自動車を評論する人は非常に少ないように思いますが、清水草一氏、小沢コージ氏は数少ない一人である、とも認識しています(車そのもの、というよりも車のある生活、車を使って何かをする、ということが好きなのかもしれない)。
そんなわけでちょっと現在の評論の風潮についてはなにか違和感を感じるのですが、さらに違和感を感じるのは評論家のレベル。
最近だとBMW i3の評論で真っ二つに分かれるのが「アクセルを戻した時の回生ブレーキ」。
BMW i3は回生が比較的強いのですが、この改正の強さはアクセルペダルの「戻し具合」で変わります。
急に戻せば急に回生がかかり、ゆっくり戻せばゆっくり回生がかかるようになっており、非常に高度な制御を行っているのですね。
これを理解せず、アクセルを戻すとガクンと車体が揺れる、回生の効きを選べるようにしたほうが良い、という評論家が非常に多い模様。
アクセルペダルで車の挙動をコントロールするということができず、一律の強さで「踏む」と「戻す」しかできない上、BMW i3の高度な技術を理解しないままに逆行する技術とも言える「回生の効きを乗員が選ぶ」方法を語る、というのはかなり違和感の残るところ。
言うなれば自分の技術の不足、構造や制御の理解をしないままに、自分の感覚だけで判断しているということになります。
一方で、BMWの目指した「ワンペダル・ドライブ」の意図と構造を理解し、「これが未来の一つの方向」と考える評論家もいるわけですね。
ほか、「本当に乗ったのか?」と思えるような試乗レポートもあります。
ガヤルドについては特にそういったものが多く、おそらくチョイ乗りしかしてないんだろうなあ、というものも多いですね。
ちょっと踏めば必ず気づくはずの、他の車にはないガヤルドのみが持つ挙動があるのですが、これについて触れていたのは、ぼくの知る限りでは前出の清水草一氏のみでした。
いずれにせよ、ネット上には多様な情報が溢れ、メディアによる試乗についても専門知識のあるジャーナリストからそうでない(家電系の記者もいる)人達の試乗記事が見られるようになり、それぞれが各自の観点から意見を述べています。
ぼくらはそういった多くの情報を取捨選択できる立場にあり、情報があふれている事自体は感謝すべき状況なのだと言えるのでしょうね(反面、情報を判断する側にも、情報を鵜呑みにしない、などの判断力が求められるのですが)。