| 誰も実車を見たことがなく、存在を示すのは数枚の写真のみ |
フェラーリは「SF90ストラダーレ」を発表したところですが、そこでふと思い出したのが「F90」。
ただしこれはフェラーリによって作られたものではなく、フェラーリのデザインを長らく手がけてきたことで知られるピニンファリーナが過去に生産したもの。
発注したのはブルネイのスルターン(国王)だとされ、ピニンファリーナは1988年から1992年にかけて試作車を6台を製造した、とされています。
ピニンファリーナは数多くの「ワンオフ」フェラーリを制作している
なお、富豪がピニンファリーナに対し「フェラーリをベースにしてワンオフモデルを作ってくれ」とオーダーすることは珍しくなく、これがかねてよりピニンファリーナの貴重な収入源であった模様。
なお、フェラーリとピニンファリーナとの契約条件は「ピニンファリーナにとって屈辱的なもの(それ単体では利益が出るものではない)」であったとされますが、それでもピニンファリーナがフェラーリのデザインを引き受け続けたのには「フェラーリのデザインを行っている」という肩書が欲しかったからだと「ものの本」に記載がありますね。
実際のところ、世界中の富豪がこうやってワンオフモデルの依頼をピニンファリーナに行うこととなり、「フェラーリのデザインを請け負っている」という枕詞の効力は絶大だったのは想像に難くないところ。
たとえば、「趣味のスーパーカー(SCG003や004など)」を実際に発売してしまったスクーデリア・キャメロン・グリッケンハウスを率いるジェームズ・グリッケンハウス氏も過去にピニンファリーナに依頼し、エンツォフェラーリベースの「フェラーリP4/5」を製作しています。
なお、同氏は最近レストアされたことで注目を集めた「フェラーリ・モデューロ」の現オーナーでもありますが、このフェラーリ・モデューロはフェラーリ自身ではなく、ピニンファリーナが製作したコンセプトカー。
そして「フェラーリのワゴン(456ベース)”ベニス”」やスパイダーもブルネイのスルターンがピニンファリーナに発注したワンオフモデル。
このほかにも「知られていない」ピニンファリーナ製のフェラーリは多数存在しているものと思われます。
フェラーリF90はこういったクルマ
フェラーリF90のデザイナーは当時ピニンファリーナに在籍していたエンリコ・フミア氏、そしてベースはフェラーリ・テスタロッサ。
製造は1998年から1992年にかけて6台のみ、そしてその存在が公表されたのはその15年後。
「F90プロジェクト」自体はスルターンとピニンファリーナの間以外では極秘に進められ、フェラーリ自身もこの「F90」について何も聞かされていなかったという、かなり珍しい経歴を持つクルマです。
そして公表された後も多くの謎が残るフェラーリとしても知られ、フェラーリがこのF90の存在をはじめて認めたのが2006年。
その年に発行されたイヤーブックにわずかばかりの写真が掲載されたものの、この実車はフェラーリすら目にしたことがなく、写真もブルネイがリリースした「数枚」しかないようですね。
エンリコ・フミア氏自身、「フェラーリF90は、ピニンファリーナの長い歴史において、もっとも困難なプロジェクトだった。そのデザインには多くのチャレンジが盛り込まれている」とも語り、”忘れることのできない一台”なのかもしれません。
デザイン的にはフロント、サイド、リアに反復される「唇のような」切り欠きが特徴。
レイアウトはミドシップのままですが、本来サイドにあるラジエターは「このデザインを実現するため」フロントに移設されています。
外装の「ほとんど」は新しく作り直され、テスタロッサのパーツが残るのは「ドアミラーとリアホイールだけ」。
インテリアについても同じく「完全にリデザイン」されている、と伝えられています(製造された6台はすべて右ハンドル)。
なお、ネーミングの「F90」については、ズバリ「1990年代」。
プロジェクトのスタートが1988年であり、デザイナーのエンリコ・フミア氏が「次の10年」を想像したクルマであり、”1980年代に考えた、1990年代のクルマ”ということですね(エンリコ・フミア氏はまだ当時のスケッチを持っており、中にはセダンバージョンもあるという)。
これらフェラーリF90についての情報のほとんどはエンリコ・フミア氏によってもたらされたものですが、同氏は”ある事情によって”これ以上は語ることはできないとし、「スケッチを見せることもできない。そして、私が語った情報は全体の1%程度だ」。
おそらく今後もこのフェラーリF90の情報が公開されることはないと思われ、歴史上、もっとも謎に包まれたフェラーリということになりそうですね。