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伝説の「デ・トマソ」復活!アポロの母体が経営権を獲得し7月にコンセプトカーを発表予定。デ・トマソって何よ?

2019/05/17

デ・トマソ

| デ・トマソはかなり評価の分かれるブランドそして人物だ |

デ・トマソが復活する、との報道。
これは「新生」デ・トマソが公開したもので、7月4日に「プロジェクトP」と呼ばれるニューモデルを(グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードで)発表するとしています。※パンテーラの”P”かも

ただし現時点でその姿やスペックについては全く不明(画像はパンテーラ・コンセプト)

デ・トマソは英雄?それとも口先だけのビジネスマン?

デ・トマソは1959年にアレハンドロ・デ・トマソによってイタリアに設立された自動車メーカーで、やはりその名を聞いて思い出すのは「パンテーラ」。※最近、アレス・デザインによって”プロジェクト・パンサー”としてリメイクされた

アレハンドロ・デ・トマソ自身はレーシングドライバーで(しかし明確な、そして誇れる戦績は残っていない。一説によると趣味で走っている程度だった)、1963年に市販車第一号”ヴァレルンガ”、1966年に”マングスタ”を発売。

アレハンドロ・デ・トマソは非常に評価の分かれる人物であり、日本だと「パンテーラの生みの親」「マセラティを復活させた張本人」ということで高く評価されることが多いものの、欧米では「口先だけ」の拝金的人物として評価されているようです。

デ・トマソはイタリアはモデナに拠点を置きながら「マングスタ」にてフォードとの関わりを持つものの、これ自体もコネクションを利用したものであり(資産家の令嬢と結婚したことによる、とも)、その後の「パンテーラ」についてもフォードをうまく利用したという印象が強いのもまた事実。

ランボルギーニ創業者、フェルッチョ・ランボルギーニも風呂敷を広げることで知られたものの、行動が伴うことは誰もが認めており、モデナでは「ふたりとも大きな話はするものの、誰もがフェルッチョの話を真剣に聞き、その話や人物を信用したのに対し、誰もアレハンドロ・デ・トマソの話は信じなかった 」という逸話も残っています。

1975年に買収したマセラティではビトゥルボを商業的に成功に導きますが、やはり「マセラティのブランドイメージを利用して」利益を得た男として評され、「自動車に対して愛をもって接した人物」ではなく「利益のために自動車を売る男」というイメージがあるようです(ぼくもそう捉えている)。

ちなみにマセラティのサイトでは、歴史に残る「ビトゥルボのヒット」を記録した人物であるにもかかわらず、社史についてデ・トマソの記載は一切なく、つまり「闇に葬りたい」過去なのかもしれません(実際に、デ・トマソがマセラティを所有していた時代は、利益が上がったものの”暗黒時代”だとする向きも)。

ただ、その後はマセラティ、デ・トマソともヒットに恵まれず、本人も1999年に病に倒れて仕事もままならない状態になるなど不遇の晩年を過ごしていますが、「給料未払いでも最後まで残った社員」もいたとされ、特定の人にとっては魅力的な人物でもあったようですね(だからこそ、数々のチャンスを利用してコネクションを築くことができたのだと思う)。

朽ち果てたデ・トマソの工場で見る一人の男の切ない歴史

Octane.jp

そんなデ・トマソですが、アレハンドロ・デ・トマソが死去した翌2004年には遺族の判断で会社が解散(アレハンドロ・デ・トマソは私財をなげうって会社を存続させており、会社そのものにお金はなかった)。

その後2011年に復活するも(スポンサーは不明)2015年に資金難を理由に中国系企業(Ideal Team Ventus(ITV)へとオークション経由で売却されることになりますが、このITVはあの「アポロIE」を世に送り出した「アポロ・アウトモビリ社」の経営母体(投資ファンド)。

そして今回、ITVのノーマン・チョイ氏は「我々はアポロIEをもって、世界にその存在感を示した。次はその同じチームをもって、伝説のブランド”デ・トマソ”を復活させる番だ」とコメントしています。

つまりは相当に期待できるということになりますが、今のところデ・トマソには公式サイトも存在せず、Linkedinにて登録のみを行っている状態(社員も13人しかいない)。

これからの復活にかけての動きに期待したい、と思います。

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