| もう投資だけで食っていけるんじゃないか |
さて、確定申告の時期となり、昨年の収入や支出をざっとおさらいしているところですが、ひとつ驚いたのが「自分が働いて得たお金よりも、お金が稼いできたお金のほうが多かった」ということ。
どういうことかというと、ぼくが労働の対価として得た金額を、投資して返ってきたリターンのほうが上回ったということですね。
昨年はテスラ株の上昇などいろいろあったのでこういった結果となっており、(なんとなくわかっていたことといえど)その結果には驚かずにはいられません。
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こうなると働く意味が感じられない
わかりやすい例でいうと、”サラリーマンが「本業」で得る年収が600万円だとして、「副業」として株式や仮想通貨に投資していたら、その利益が本業の600万円を超えて700万とか800万になった”ということですね。
なお、ぼくはこういったケースはここからさらに加速してゆくだろうとも考えており、そうなるともう「汗水たらして働く意味」が希薄になってきます。
日本だと「大学を出て、就職して、結婚して、子どもを作って」という考え方が一般的かつ広く根づいているものの、アメリカや中国だとそもそも「就職しない」という選択肢があり、起業するのには早いほうがいいという考え方から、大学に行かなかったり中退する例も多数(実際、アメリカの富豪上位で大学を出ているのはイーロン・マスクくらい)。※伝統と格式を重んじる欧州では、またちょっと事情が異なるようだ
こういった差異は日本と他の国との教育体制、そして考え方の違いだと思いますが、アメリカや中国だと(特定の目的をもった人を除くと)何もやることがない人、何もできない人が大学に行ったり就職したりするという風潮が一部にあるようで、つまり自分から積極的に何かを学んだりビジネスをできない人は、大学に行って卒業し、就職する「しか」道が残されていないというわけですね。
そしてまた中国とアメリカの共通点としてぼくが捉えているのは「ビジネスの基本は、他人のふんどしで相撲を取る」ということ、そしてなにより「楽をして儲けたい」と考えていること。※「同じ金額を稼ぐならば、より楽をしたい」と言い換えてもいい
これは日本とは決定的に異なる考え方だと言え、労働を美徳とし、義務であると考えている日本とは根本からして違います。
ただ、これ(米中式)は悪いことではなく、効率化の観点からもぼくはこの考え方を支持しているわけですね。※単に楽をして儲けるということではなく、効率的に、無駄なく稼ぎたいという意味で
ボクは仕事が楽しいと思ったことはない
なお、ぼくは「仕事を楽しい」と思ったことはなく、仕事を楽しいという人のことも理解できません(同様に、ビールが美味しいとか、野菜や魚が美味しいという人も理解できない。ただ、実際にそういった人々が存在することは知っているし、否定はしない)。
おそらくモハメド・アリだったと記憶していますが、あまりに熱心に練習をするので、新聞記者が「随分練習が好きなんですね」と訪ねたところ、モハメド・アリは「練習が好きなわけはないだろう。オレは誰よりも練習が嫌いだ。だが、練習をしないとチャンピオンになれない。チャンピオンになれなければ一生苦労して働かねばならない。だから、オレはチャンピオンになって残りの人生を楽して生きるため、いま一生懸命練習しているんだ」と答えたとなにかで読んだ記憶も。
まさにぼくもそれと同じく、仕事をしたりするのは「楽して生きるため(現在では仕事をするのがもっとも効率よくお金を稼げるから)」で、しかしそれがしばしば「仕事が好き」だと他人の目に映るのはまことにこっけいな事実である、とも考えているわけですね。
そういったこともあり、ぼくはまったく仕事に対して高いプライオリティを設定しておらず(むしろ最下位)、ただ「より多くのお金」を得るために嫌な仕事をしているわけですが、仕事よりも多くのお金を”楽して”稼げる手段が登場したいま、「もう仕事をしなくてもいいか・・・」と考えている次第です。