| 人は見たいものを、見たいようにしか見ない |
人間には「前にしか進めない」タイプ、そして「とどまることしかできない」タイプがいるようだ
先日はフォルクスワーゲングループCEOの解任劇についてお伝えしましたが、ぼくはそれと同じような状況を経験したことがあり(もちろん会社の規模は全然違いますが)、どうしようか迷ったものの、やはり自分の心境を吐露したいと思います(そうしないと当時を思い出して落ち着かず、ぐっすり眠れない)。
まずぼくは自身の社会人としてのキャリアをスタートさせるにあたり、大学卒業後に山一證券に入社していますが、これは入社後あえなく倒産することに。
そしてその後に(格好良く言うと)ヘッドハンティングにて他の会社へと短期間ながら移ったことがあるのですね。
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結果的に、ボクはそこで多くを学ぶことになる
ちなみに証券会社では「カネは命よりも重い」ということを身をもって体験していて、カネが絡むと多くの人が(文字通り)豹変したことが印象的。
たとえば、1,000円の株を買って、それが1,500円に上がり、そのときに”売り”の依頼を受け、しかし株というものは希望の価格通りで売り買いすることが難しく、結果的に1,450円で売却した場合、実際には450円の利益が出ているわけですが、お客さんからすると「1,500円で売るはずだった」ので、「50円損をした」としか考えないわけですね。
そしてそういった「損」の責任についてはすべて証券会社の外交員の責任として押し付けられてしまうことになり、「人間とはなんと勝手な生き物よ・・・」とぼくは若くして悟ることになります。
参考までに、統計上は「転職の際、前職と同じ職業に就く確率」はおよそ80%という話を聞いたことがあるものの、証券業界はぼくにとって魅力的ではなく、「絶対に戻らない(今でもそう思う)」業界でもあったわけですね。
そんなわけで、いくつかあった話のうち、全く異なる業界へと身を転じたわけですが、そこでは管理職待遇を受け、与えられたミッションは「組織改革」。
ぼくはそこで積極的に組織を変革しようと頑張るのですが、とにかく「変えたくない、変わりたくない」人が多く、それどころか何かを変えようとするぼくを目の敵にする人も多く、いたるところで妨害工作にあうわけですね。
そしてある日、上司から「一時的に支社に行ってくれ」と言われ、その際に受けた説明としては、ぼくが支社に行っている間に、改革反対派をごっそり異動させて改革し易い環境を整えておくので、それまで身を潜めておいてくれ、というもの。
ただし実際は冤罪の被害者に
そして支社へ行くのは数ヶ月という一時的な期間であり、よって勤務していた本社のデスクなど身の回りの品もそのままでいいからと言われ、体一つで支社へと出向いたわけですが、どうやらそれ自体が罠であったようで、ぼくが本社を離れている間、本社に残しておいたぼくの書類などに細工が施され、ぼくが謀反を企てたことにされてしまい、数週間後には本社に呼ばれてそれらを「証拠」をして役員の前にずらりと並べられ、そこで退社を迫られたということが実体験として存在します。
この一連の黒幕はそのときの上司であり、その上司は(ぼくの進めた改革によって相当な成果もあがっていたので)このままだとぼくに自分のポジションを奪われると感じ、よって不満を持つ部下を集め、ぼくを「反乱分子」に仕立て上げたということになりますが、「動かぬ証拠」を偽造されてしまっていて、このときぼくが感じたのは「やってないことをやってないと証明することはできない」。
これはいわゆる悪魔の証明というもので、なにかやったのであれば「やったという」証拠が残り、しかしなにもやってなければ「やってない」という証拠は残らず、よって偽造だろうがなんだろうが目の前に出された証拠を(事象を知らない役員たちは)信じてしまったというのがことの流れです。
さらに、「人は、見たいものを、見たいようにしか見ない」ということもここで得た教訓ですが、ぼくとしてはその会社に固執する理由もなかったのでアッサリと「じゃあ辞めます」ということで即刻退社することに。
こういった経験をしたということもあり、「もう絶対に他人の下では働かない」と考えていくつかの会社を自分で作って現在に至るのですが、結果的には「自分で会社をやったほうがずっと効率がいい」とも考えていて、過去を振り返ってみても「(自分でやってみて)いいことしかなかったな」と思います。※自分で会社を経営してみて一番良かったのは、誰もぼくにムリにお酒を勧めなくなったこと。ぼくは一滴もお酒を飲めないが、サラリーマン時代はそれで苦労し、しかし今では「飲めない」というとそれ以上誰もムリに飲ませようとしない
参考までにですが、ぼくを追い出した会社は2年後に解散してしまい、そしてある日曜日、ぼくはポルシェ・ボクスターに乗っていて、交差点にて信号待ちのためにクルマを停め、そしてふと横を見ると、営業車に商品だかサンプルだかを満載した営業車が停まっていて、そしてそのドライバーはかつての上司(向こうはこちらに気づいてない)。
どう見ても辛そうな顔をしていたので仕事がうまくいってなさそうな雰囲気でしたが、それを見たときはちょっと悲しい、なんとも言えない気持ちになったことを思い出します(彼はぼくを追い出したことを後悔していたのだろうか。いや、きっと後悔せず、今でも保身に走り、うまくゆかないことの責任をすべて他人のせいにしているのだろう)。
ボクはコンパクトな組織が好きだ
ちなみに会社を「いくつか」作ったのは、作った会社が大きくなってしまうと、そこにぼくは興味を感じなくなるから。
スティーブ・ジョブズの言った「Aクラスの人間だけで会社を運営しているうちはうまく行く。しかしそこにBクラスの人間を入れると、彼らはCクラスの人間を連れてくる。そして組織はどんどんダメになる」というのと同様で、組織が肥大化すると動きが緩慢になってしまい、様々な変化やリスクに対応できなくなるのですね。
ぼくは安定を嫌い、常にリスクを背負って(誰よりも)先に進むこと、誰もやってないことをやりたいと考えているのですが、そうなると一番いいのは「一人」ということに気づいたのもつい最近(組織が大きくなると、守るべき生活も増え、挑戦をしにくくなる)。
つまるところぼくはどこまで行ってもギャンブラーであり、自分の能力だけを種銭にして未来に「賭け」、負けたときの責任は自分ひとりですべて負う覚悟を決めているということになりますが、基本的にぼくは勝負前に「勝てる」と考えたことはなく、常に「全力を尽くしたとしても負けるかもしれないが、それでも構わない」と考えて勝負に挑んでいます(勝つためのすべての準備は行うが、それでも勝てるという確信を持ったことはない。根が小心者だからなのだと思う)。
そして「勝負に出るだけの覚悟が身についた」のは、証券会社で経験した「カネは命よりも重い」ということで、当時損失を出して行方不明になった先輩がいたり、自分自身も危ない目に遭った経験が生きていて、「人のカネで勝負して負ければ命を取られることもあるが、自分のカネで勝負して負けても命までは取られない」ということにも気づいたから(命さえあれば何度でもやり直しがきく)。
さらに、その次に務めた会社での経験から「やっかみ」「変化を恐れる人のネガティブパワー」も痛いほど経験しているので、そういったことに二度と巻き込まれないように注意するようにもなり、今までの様々な苦い経験でさえも、いまのぼくを形成する糧になったんだなあ、と感謝すらしています。
そしてぼくはまた次の階段へと歩みを進め、ふと足を止めて登ってきた階段を振り返り、「これら一段一段を自分の足で登ることで、自分はここまで来たのだ」と再確認することになるのだと思いますが、未来の自分が感謝できるように「今」を過ごしたいとも考えています。