| なぜフェラーリではなくランボルギーニなのか |
「なぜフェラーリを買わないのか」とよく聞かれることがあります。
つまりはなぜフェラーリではなくランボルギーニを選ぶのか、ということですね。
これについてはぼく自身が何度か自問自答していることでもありますが、「ぼくは、本当に自分が欲しいと思うものを選ぶ」というのがその答え。
正直言うと、これまで二台のランボルギーニを購入する際、そしてそれ以外でもフェラーリの購入を考えなかったかと聞かれると「常にそれは考えた」のもまた事実。
ランボルギーニよりもフェラーリが「得」なのは間違いない
スーパーカーは大きな買い物で、その大きな買い物をする際に「より良い結果をもたらすものを買おう」と考えるのは当然のことで、そして後悔したくないものを買おう、と考えるのも自然なことだと思います。
ぼくは何度か記事を公開している通り「クルマを買う前から売るときのことを考える」ことが多く、となると当然フェラーリも有力な候補となるわけですね。
3年後の「残価」だとフェラーリは驚愕の75%、それに対してランボルギーニはV10モデル(ウラカン)で65%。※V12モデル(アヴェンタドール)は70%
残価設定ローンでなくともこれはおおよその目安になり、つまり購入価格が同じだとしても売却時にランボルギーニはフェラーリに比べて「10%損失が大きい」ということになります。
実際のところフェラーリは確実に75%以上で売却でき、しかしランボルギーニは現実的に65%くらいだろうとも考えていて、実際に売った時の(フェラーリとランボルギーニとの)価格差は10%どころではないとも考えていますが、その意味でもフェラーリを購入した方が圧倒的に「得」。
そのほかフェラーリは無料で7年間のメンテナンスがついていたりするので「維持もランボルギーニより安い」ということになり、得失だけを考えればフェラーリを買わない理由はない、とも考えられます(有償で15年まで延長可能)。
ただし買い物は情熱で行うものでもある
そこで問題となるのは「ぼくが本当に好きなのはランボルギーニである」ということ。
しかしぼくはフェラーリも大好きで、それは疑いようのない事実。
実際のところイタリアのフェラーリ博物館(ムゼオ・フェラーリ・マラネッロやエンツォ・フェラーリ・マラネッロ)やアブダビのフェラーリ・ワールドにまで行ってきたのでぼくのフェラーリ愛も相当なものだと自負していますが、それよりもランボルギーニの方が好きだ、ということですね。
さすがはフェラーリ、よくこんなモノを作ったな。アブダビの「フェラーリ・ワールド」へ行く
ムゼオ・フェラーリ・マラネッロ(フェラーリ博物館)訪問。その様子をダイジェストで
イタリアの「ムゼオ・エンツォ・フェラーリ」にて。過去から現在までのロードカーを画像で紹介
ランボルギーニのどういったところが好きかと言われると「直線的」なシルエット(フロントフードとフロントウインドウとの角度差が少ない)やカクカクしたデザインが主なところとなりますが、その他メカニズム的なところでもランボルギーニの方がフェラーリよりも好きだ、と考えています(これは好みの問題で、フェラーリやそのオーナー、ファンを否定するものではない)。
逆にフェラーリで惹かれるところは「リセール」「ブランド」。
前者については述べた通りですが、後者についてその価値は計り知れず、これは「世界のブランドランキング」が示す通り。
「世界のブランドランキング」2017年版公開。トヨタは自動車業界14年連続No.1、フェラーリが初のランクイン
つまりフェラーリに乗った方が格好いいし、周囲のウケもいいだろうなというミーハーな理由になりますが、「リセールを捨てても(というほどのものではないけれど)自分の心に従ってランボルギーニか」「自分の心をごまかしてでもリセールと見栄を取るか」ということに。
失うモノが多いのは承知の上だ
ちなみに現在ランボルギーニの残価設定はV10の場合だと上述のように65%ですが、ぼくがガヤルドを購入した時は「50%」。
つまり当時フェラーリとランボルギーニとのリセールには圧倒的な差があり、ランボルギーニを新車で購入するのは「購入価格の半分を捨てる」のと同義で、その判断を行なった者には「勇者」の称号が与えられたほど。
そういった状況だったのでガヤルドを購入する際には「本当にフェラーリではなくてランボルギーニでいいのか」と何度も自問自答を繰り返したことを昨日のように思い出しますが、ぼくにとって「たとえお金を失うことになろうとも心から欲しいと思えるのがランボルギーニ」で、フェラーリを選択するということは「自分の心を抑え、リセールに妥協した選択(繰り返しですが、あくまでも自分の例であってフェラーリを貶める意図はない)」。※フェラーリがここまで高く売れなければ悩む必要はなく、しかしなまじ換金性が高いだけに不純な動機が混じってしまう
そしてぼくはフェラーリに対しては敬意を抱いているので、そういった不純な気持ちでフェラーリに乗るのはあまりに失礼だとも考えているために現在フェラーリを選んでいないということに。
しかしフェラーリだけは「絶対に外せない」クルマだとも考えているので、この先どこかで乗ることにはなるだろう、と考えています。
ただ、その場合は「別にランボルギーニを保有していて」という但し書き付きになるのは間違いなく、そしてそうなると金銭的問題が生じることになり、とりあえず「稼がないと」ということになりそう。
モノには「購入分のお金を捨てることになろうとも欲しい」場合と「価格が下がらない/もしくは上がるだろうからから買う」場合があると考えていて、たとえば腕時計だと前者はベル&ロスなどのデザイナー系、後者はロレックス・デイトナが端的な例かもしれません(損得勘定抜きでも欲しいか、そうでないかとも言い換えることができる)。
そして後者の場合は「時計」としてよりも「お金」として見てしまうので(ぼくの場合)、あまり愛着が湧かずにすぐ売ってしまうことが多いようです。