| このビートルを発見したのも、製造番号”20”なのも偶然だった |
フォルクスワーゲン・ビートル(タイプ1)はその総生産台数が「2152万台」にも達し、4輪車としては世界最多の販売台数を誇ります。
生産開始は1938年(ドイツにて)で、生産終了は2003年(メキシコにて)。
そして今回紹介するフォルクスワーゲン・ビートルは、おそらく「存在する中では世界最古のビートル」と言われる個体で、シャシーナンバーはなんと「20」。
量産へと移行する以前、手作業にて生産されていた時代のビートル
この個体は1941年製で「Kdfワーゲン タイプ60」として知られるもの。
製造当初はベルリンの作曲家であるPaul Lincke氏へと納車されたものですが、その後行方がわからなくなり、1988年になってOndrej Brom氏という人物が””を森のなかに打ち捨てられていた状態の”この車両を発見することに。
ちなみに「Kdf」とは旧ナチス下部組織の一つを指していて、ナチスの思想をドイツ国民に行き渡らせるために様々な余暇活動を国民に提供することを目的に活動を行い、その結果として国民のナチスへ対する忠誠心を向上させることが狙いであったとされています。
”KdF”とはKraft durch Freude(喜びを通じて力を)の略で、喜びは娯楽、力は労働をあらわすとされていますね。
発見したOndrej Brom氏によると、「その時私はまだ学生で、たまたま大きな木の傍に、タイヤまで土に埋もれていたこのクルマを発見したんだ」とのこと。
そしてこのクルマは彼の兄の友人に所有権があったものの(土地ごとその人が所有していたのかもしれない)、これを手に入れるのに要したのは9年。
「なかなかその兄の友人が売りに出さなかった」のがその理由ですが、ようやくこのビートルが売りに出されたときに彼が持っていた所持金は4,000クローナのみで、しかし兄の友人が提示した価格は60,000クローナ(約74万円)。
なんとか銀行にてお金を調達してこのビートルを購入した、とのこと。
なお、Ondrej Brom氏にとってこのビートルは「最初の」ビートルではなく、彼はそれまでにも4台のビートルを所有。
その過程においてビートルに関する知識が蓄積されており、それが今回のレストアにも役立っているとのことですが、Ondrej Brom氏はレストアにあたって当時のビートルを徹底的に調べ、「当時と同じ仕様、当時と同じ素材、当時と同じ塗料」にこだわってこのKdfワーゲン タイプ60をレストアしています。
ちなみに購入した時点では、このビートルが「そこまで旧いものであるとは」判明しておらず、塗装を剥離し、読めなくなった車台番号をX線で読み取り、警察に照合した時点で「なんとシャシーナンバー20」であることが判明。
これは「量産体制に入る前の」、つまり手作りにて生産されていた貴重な個体だそうで、それを知ったときの驚きは想像がつきません。
その後Ondrej Brom氏はすべてのパーツを分解し、パネル類の復元に加えて「ボルトやナットまでも」リビルトし、まさに新車状態にて組み上げています。
なお、発見当時の状態はこちら。
そして復元したリアがこちら。
「このビートルは売り物ではない」
現時点においてOndrej Brom氏はこのビートルを手放す気はなく、よってこの個体を手にできる可能性は期待薄。
そして同氏は「もしも”シャシーナンバー19”が出てきたらどうする?」との問いに対しては「このシャシーナンバー20と同じようにするだろうね。すべてを当時の姿に戻すまでだ。だが、今ではノウハウがある。どこをどうすべきか、どの部分は誰に任せるといいかを知っている」、と答えています。
ちなみにこのビートルよりも2年後に生産された1943年のKdfワーゲン タイプ60は過去に3100万円で販売されており、となるとこのOndrej Brom氏のビートルは「それ以上の価値がある」ということになりそうですね。
そのほか、1964年に購入された後、乗らずに保管されていた「新車」のフォルクスワーゲン・ビートルも1億円を超える価格で販売されるなど、「ビートルの世界」もなかなかに奥深いものがあるようです。
それでは動画を見てみよう
こちらがそのフォルクスワーゲン・ビートルのレストア状況や現在の様子を記したシリーズ動画。
ここまで仕上げるのはまさに気の遠くなるような道のりであったことは想像に難くなく、情熱のみが成しうる異形だと思います。
VIA:Autoclassic,Kdf41