人びとがモノを買う時に重視する要素は製品の成熟度、マーケットの成熟度とともに変化する
時代とともに消費者がモノを購入するときの判断基準が変わってきている、と思うわけです。
たとえば、かつて(80年代後半~90年代くらい?)車を購入するときに占める要素のうち、要素すべてを「10」だとすると、その中で性能がたぶんいちばん大きな割合だったんじゃないかと思うのですね。
その後にデザインや広告といった要素が続き、要素の数としても「性能、デザイン、広告(製品イメージなど。昔は製品と消費者との認知発生がTVか雑誌程度だったので)」といったところなんじゃないかなあ、と考えるわけです。
※価格は常に最重要課題なので除外
以前、自動車購入においては「性能」が差別化における大きな要素だった
性能が判断基準として大きかったというのは「当時車の性能が高くなかった」ためで、人々が求める性能を持つ車をまず探す必要があったわけですね。
今は車の性能が格段に上がり、まずどんな車でも要望を満たすことができる状況だと(特殊な要望でなければ)考えていますし、ときには人間が操ることが出来る範囲を軽く超えている車も多々あるのではないかというレベル。
よって、現代においては「性能」はひとつの判断基準として残るものの、判断に占める要素グラフを「10」としたとき、性能が占める比率は下がっているであろう(要望を満たしているのが普通になったので考慮すべき要素ではなくなった)、と考えるわけです。
かわりに出てきているのが積載性であったり燃費(経済性)でという、当時はあまり重視されなかった要素と言えます。
また、自動車以外にもお金を遣うコトがたくさん出てきていると思われ、そういった支出全般とのバランスを考慮する必要も出てきており、かつ大きな問題ではありますね。
※たとえばパソコンではかつて「ハードディスク容量」「CPU」が重視されたものの、今ではどのPCも十分な容量や速度を誇るため、殆どの人はスペックを気にしなくなったのと似ている
今後、自動車は「走行性能」以外の要素が重要視される
そしてもうちょっと先の時代になると、自動車購入時における判断において「自動運転があるかないか」「自動運転の精度」ということが重視されるかもしれません。
つまり「購買を決めるための要素」自体が変化していて、さらに以前は数の少なかった要素が現代では多岐にわたり、将来的にはさらにその数が多くなるだろう、ということですね。
そしてその要素の持つ重要性(10段階の中での比率)も時代とともに変化する、そして一つ一つの占める割合が小さくなるであろう、ということです。
たとえばかつてアウディはメルセデス・ベンツやBMWに対抗するために「パネルのチリ」を小さくすることで品質の高さや塊感を演出しようとしましたが、当時メルセデスは「車は性能で選ばれるもの。チリなど気にする人はいない」とアウディを小馬鹿にした状態。
しかしながら当時はもう「一定の性能を持っているのが当たり前」だったので、性能そのものは選択要素として大きくはなくなっていて、代わりにデザインや品質を求める人が多くなっており、そこでアウディは販売を大きく伸ばした(フタを開けるとアウディが正しかった)、という経緯があります。
重要なのは消費者の潜在的な需要を形にすることだ
なお、この「チリ」は消費者が当時声に出して求めていたものではなく、アウディが消費者が「求めるであろう」要素を形にしたものであり、つまり「顕在化した需要を狙うのではなく、潜在的な需要を引っ張りだした」ことになります。
スティーブ・ジョブズの言った「人々は、製品を形にして見せられるまでは、自分たちが何を欲しいかすら知らない」という言葉そのままですが、まさにマーケットリーダーは常に潜在需要を表に出し、「そうそう、これが欲しかった」状態を作り出していると言えますね(かつてのソニーも同じ)。
ちょっと脱線しましたが、とにかく車に求められる要素も時代とともに代わり、そもそも自動車の役割自体が変わってきているわけで、そんな中で人々がこれから車に求めるであろうものも変わってゆくだろう、と考えています。
もちろん自動車だけではなく食べ物でも携帯電話でも衣類でもなんでも「商品」である以上は同じだと思いますが、つねに状況は変化し続けている、ということですね。
他の例だと「馬」がありますが、かつては交通手段だった馬も自動車や鉄道の普及で移動手段としての価値がなくなり、現代では「競馬」「乗馬」といった感じで別の生きる道を歩むことになり、”交通手段としての実用目的”から、”娯楽や楽しみとしての目的”に存在意義がスイッチしているわけです。
その意味ではぼくらが社会に求められる役割も変わってきていると思いますし、人間そのもの存在意義も変わってくるのでしょうね。