| そこまで過剰に反応する必要はないと思うが |
さて、先般よりいろいろと話題になっているアウディRS4の広告画像。
アウディRS4の前に少女が立ってバナナを食べている画像ですが、Twitterに「あらゆる方面から、心臓の鼓動を早めよう(Lets your heart beat faster – in every aspect.)」というコピーとともに投稿されており、そして投稿直後から批判的なコメントが殺到することに。
Lets your heart beat faster – in every aspect. #AudiRS4 pic.twitter.com/14XaKhlRVL
— AudiOfficial (@AudiOfficial) August 2, 2020
批判の内容は多岐にわたる
そして批判の内容ですが、「少女とバナナ」という組み合わせが”特殊な性的嗜好を連想させる”というもの、そして「女の子が轢き殺されそうだ」「そんなところに小さな子がいると、運転席から確認できずに危ない」というものまで。
そしてアウディはこれに対してコメントを出し、意見は真摯に受け止めるという姿勢を示して謝罪した上で、常に子供に対しては配慮を行っているとした上で、このRS4はファミリーカー(ワゴンボディを持つ”アバント”)であって、30を超えるドライバー・アシストを備えており、そのため(ファミリーカーなので)に家族の構成員として子どもを起用したと説明しています。
We hear you and let’s get this straight: We care for children. The Audi RS 4 is a family car with more than thirty driver assistance systems including an emergency break system. That’s why we showcased it with various family members for the campaign. (1/3) pic.twitter.com/XAeIjszUWQ
— AudiOfficial (@AudiOfficial) August 3, 2020
犯罪行為であれば批判され、そしてもちろん罰せられてしかるべきですが、こういった「なんら”法的には”問題のない」広告でも大きく批判される可能性があるのが現代で、とにかく企業にとってはやりにくい世の中になったと言えそうです。
企業はもちろん営利企業なので、自社の製品を売るためにはそれを周知させる必要があり、周知させるためには広告を打つ必要がありますが、広告を打つと「誰かが、どんな些細なことにでもクレームをつける」ことになり、そしてそれに同調する人が登場すればまったくの逆効果となることも。
つまり現代の広告は、企業という「個」が「世の中の人すべて」に対して責任を追うことになり、「問題にならないような」ことをトッププライオリティにおいた広告を展開せねばならず、そこには法的な問題以外にも、それが人々に与える印象や感情、社会的な常識、そしてもちろん道徳といった要素が加味されることになり、とにかく企業にとっては広告一つで「世の中全てを敵に回す」可能性も低くはない、ということですね。
今後、広告は「人々の心に響かない」ものばかりに?
なお、広告は一般的に「心に残らなければならず」、そのために心に残るような印象的な画像/映像、印象的な文言等を使用すれば、印象が強いだけに「反感」を持つ人も少なからず出てきて、「どうしたらいいの・・・」と頭を抱える企業も多そう。
「好きの反対は”嫌い”ではなく無関心」といったコメントがありますが、「嫌い」と思われないような広告は「好き」とも思ってもらえず、そして「好きと思ってすらもらえない」広告に対して人々は無関心となり、ますます広告は苦しい立場に置かれるのかも。
参考までに、最近「アニメーションを使用した広告」が増えているのは、起用するタレントのスキャンダルを恐れるという側面もあるようですが、「架空の世界」を作り出すことで様々な追求から逃れるという意味もあるようですね。
今回のアウディの一件について、批判は「ちょっとゆきすぎ」と思う一方、アウディはこの問題を予測できたはずで、「回避できたはずのリスク」だとも考えています。
ただ、この広告が問題となっていることで、「何が問題視されているのか」を少女が知ることになったとしたらトラウマを抱えることになる可能性も大きく、少女のことを第一に考えるのであれば、文句があったとしても直接アウディに取り下げを申し入れるなど、公にてコメントしないほうが良かったのかもしれません。
いずれにしても、何かを批判することで自尊心を満たそうとする人、自分の意見が指示されることで快感を覚える人は多く、そういった人々は常に攻撃対象を探していて、その対象とならないよう、企業そして個人も戦々恐々としなければならない世の中になってしまったのは間違いなさそうです。