| ポルシェも認めたポルシェ・コレクター、マグナス・ウォーカーがポルシェを訪問 |
マグナス・ウォーカー氏がはじめてポルシェのライプツィヒ工場を訪問し、ファンに囲まれて素晴らしいひとときを過ごした模様。
マグナス・ウォーカー氏はポルシェ・コレクターとしても有名ですが、そのコレクションを自由気ままにカスタムすることでも知られます。
そしてその特異なルックスや自由な生き方から「アーバン・アウトロー」と呼ばれることに。
マグナス・ウォーカーって誰?
正直マグナス・ウォーカー氏は日本では知名度の低い人物ではありますが、今回ポルシェから招待されたり、オーナー向けの機関誌「クリストフォーラス」でも特集が組まれるほど。
そのルックスは独特で、これまでにポルシェが紹介してきたどのオーナー像とも異なります。
氏とポルシェとの出会いは1977年のアールズ・コート・モーターショー。
そこで白い911に心奪われた彼はポルシェに対し「この車がほしい、この車のデザインをしたい」と手紙を書きます。
そしてポルシェはこれに簡単な文章にカタログを添え、10歳のマグナス少年に送ったのがポルシェとのファースト・コンタクト(その40年後にこうやってポルシェに招待され、トークショーを開くとは)。
イギリスはシェフィールドの出身ですが、15歳で学校を辞め、その後バイトをしながらお金を貯めて「自由の国」アメリカへ。
その後自身のアパレル会社「Serious Clothing」を立ち上げて成功し、ほかには映画のロケーション撮影誘致、不動産など様々なビジネスで成功。
現在は数十台を超えるポルシェを倉庫に保管する彼ですが、一貫して求めたのは「自由」。
好きなことをする自由を何よりも大事にしており、そのため学校中退後にも周囲から「髪を切ってちゃんとした仕事に就いたらどうだ」と言われても髪を切らずにアルバイトを続けたそうですが、今でも「自由」を重視しているということが外観からもよくわかりますね。
同様にポルシェのカスタムもまさに「自由」で、自分がカッコイイと思うように、常識にとらわれずにカスタムを行っており、それがまたジェイ・レノや著名人に評価され、ミニカーの「ホットウィール」では彼のカスタムカーをシリーズ化するまでに。
今度はポルシェ356を現代風にレストア。ディスクブレーキ、パワステ装備の「アウトロー・クーペ」
【まとめ】どんなものがある?ポルシェのミニカー、キーホルダー、アパレル、腕時計など
人生の転機は突然やってくる
なお、彼が成功したアパレルビジネスですが、彼はそれをやろうとも、やることになるとも思わなかった、とのこと。
転機となったのはロサンゼルスに来てからの三日目で、たまたまワニ革のパンツを店頭で見かけてそれを購入し、しかしいまひとつフィットしなかったので自分でフィットするように直して履いていたところ、著名ミュージシャンから「それ売ってくれ」と言われて履いていたパンツを売ることに。
予想外の高値で売れたので彼はそのワニ革パンツをまとめて買い、同じように直して転売したところ、イギリスで一週間汗だくになり炭鉱で働く以上のお金を、たった数日で労せずして稼ぐことができ、これがアパレルビジネス参入へのきっかけだった、と語っています。
映画のロケーション撮影についても、「たまたま」自分の直感に従い購入したビル(誰も見向きもしないような廃ビル)を好きなように改装して住んでいたところ、当時盛んだったミュージックビデオの撮影に「ビルを貸してほしい」という依頼が来るようになって、これがさらに拡大したようですね。
つまり、アパレルにせよロケーション撮影にせよ、「自分の好きなことを自由にやっていたら、それが人の目に止まってビジネスになった」ということに。
その後も自由に彼は生き続け、稼いだお金で大好きだったポルシェを1992年にはじめて買い、それをカスタムして持っていたところ、それがドキュメンタリーで特集されることになって、その後はトップギアに取り上げられたり、今度はポルシェから逆に手紙が届いて様々なイベントへと招待されるようになったり。
マグナス・ウォーカー氏の生き方に多くの人が共感し、今ではナイキやBMW、ボルボなどからも製品について意見を求められるようになったそうですが、彼自身はそれについて「自分はただ単に好きなことだけをやって生きてきただけの男だ」と謙虚そのもの。
彼はすでにアパレルブランドも畳み、次なる「自由」を求めていると語っていて、今でも学校を辞めたときのように「何をしたいのか、これからどうなるのか、どこへ行くのかすらも」もわからない、と言います。
ただ自由を求めて、自分の好きなことだけをして生きてゆきたい、と。
そして彼が語る”アーバン・アウトローの”法則はたった3つ。
よいと思ったら、なるべくシンプルに行動を起こせ
もしあなたがルールや慣習に左右されない人間であるなら、何でも可能だ
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