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個人で最も多くの競技用フェラーリを所有しレースに参加した男、デビッド・パイパー。けしてレッドのフェラーリに乗らず、グリーンのみを選択した理由とは

個人で最も多くの競技用フェラーリを所有しレースに参加した男、デビッド・パイパー。けしてレッドのフェラーリに乗らず、グリーンのみを選択した理由とは

| デビッド・パイパーほど黄金時代のフェラーリのレーシングカーを多数所有し、レースに参戦してきた人物は他にいない |

250GTOは7台、250LMは6台も乗り継いでいる(そのうち6台は長年にわたり継続して所有している)

さて、サーキットを走るフェラーリといえば「ロッソ・コルサ」と相場が決まっていますが、フェラーリのサポートを受けたレーシングドライバーであっても「ロッソ・コルサではない」フェラーリばかりを駆った人物が存在します。

今回フェラーリが公式コンテンツとして”常に自分らしく生きてきた人物”として紹介するデビッド・パイパーがこそがその人であるのですが、いったいどういったドライバーであったのかを見てみましょう。

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デビッド・パイパーとフェラーリとの関係性は250GTOに端を発する

デビッド・パイパーは1930年にこの世に生を受け、1960年代にはレーシングドライバーとしての名声を獲得することになりますが、フェラーリの歴史にとって重要な人物であるばかりではなく、プライベーターとしても非常に成功したことでも知られています。

デビッド・パイパーとフェラーリとの最初の運命の出会いは1962年にまで遡り、当時イベント会場にてフェラーリ250GTOを見た直後に注文を入れ、シャシーナンバー3767を入手するやいなや、このクルマをもってグッドウッドTT、ブランズハッチ、ニュルブルクリンク1,000km、ツール・ド・フランス等のレースへと参戦を開始することになるわけですね。

そしてそのボディカラーはもちろん「グリーン」であったことは言うまでもありません。

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フェラーリが公式にて「もっとも人気のあるフェラーリ」、250GTOについて語る。製造された36台すべてが現存し、中には77億円で落札された個体も
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デビッド・パイパーはフェラーリから公式にサポートを受けたことがあるにもかかわらず、基本的にはファクトリードライバーではなくプライベーターとしてレースを戦っており、その理由は「勝てるクルマを自由に選びたかったから」だとも言われています(ファクトリードライバーであれば、そのメーカーのクルマにしか乗ることができない)。

実際のところ、彼はフェラーリだけではなくポルシェやフォード、ロータスなど様々なメーカーのクルマにてモータースポーツ活動を行いますが、その際に使用していたのがこのグリーン。

このグリーンはスポンサーである「BP」のカンパニーカラー

そしてこのグリーンを選んだのはシンプルなたった一つの理由からであり、そのわけは「BPがスポンサーに付いたから」。

1950年代まで、デビッド・パイパーは別のカラーにペイントされたクルマで戦っており、その際にはESSOによるスポンサーシップによって活動していて、しかし1957年に発生したスエズ運河危機によってESSOは資金的な余裕を失ってしまい、代わりにデビッド・パイパーが見つけてきたスポンサーがBPだったというわけですが、両者の間で「資金を提供する代わりに、レーシングカーをグリーンに塗る」という取り決めがなされ、ここでこの「BPグリーンに塗られたレーシングカー」が誕生することとなっています。※よってこのグリーンはBPグリーンと呼ばれるが、パイパー・グリーンという呼び方も一般的である

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ただしちょっと面白いのは、BPとの契約が終了したのちにもBPグリーンにペイントされたレーシングカーを走らせていたこと。

そしてその理由もまたシンプルなものであり、「特定の色にこだわり、それにこだわるのが好きだったから」。

この傾向を形作ったのは少年の頃働いていた農場にあるそうで、(デビッド・パイパーは)その農場では「他の農家と区別するため、クルマをオレンジにペイントしていた」ことに触れており、少年ながらも「識別性が重要」だと感じていたのかもしれません。

そして、その農場の顧客が所有していたMGを借り、レースに出場して果敢な走りを見せたことでフェラーリにてF1チャンピオンに輝いたマイク・ホーソーンに見い出され、本格的にモータースポーツの世界へと足を踏み入れることとなります。

デビッド・パイパーは「色」の持つ重要性を理解していた

参考までにですが、アメリカでも「色」にこだわる傾向があり、かつて灯油は雑貨店で販売されていたそうですが、雑貨店には灯油をストックするためのタンクが置かれており、たとえばテキサコだとレッド、ガルフだとオレンジといった具合にカンパニーカラーによってそのタンクが分けられ、そこへオイル会社の従業員がやってきては自社のタンクにガソリンを注入していたのだそう。

そして顧客は持参した容器に、思い思いの会社の灯油を入れて持ち帰っていたそうですが、顧客が社名を覚えることができなくとも、色によって「どの色のタンクの灯油が良い(もしくは安い)」という印象を植え付けることで各社とも自社の販売を有利にしようとしていたのかもしれません(オイルに関わらず、アメリカの会社はその企業カラーによって差別化を図る例が多い)。

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話をデビッド・パイパーに戻すと、彼はイギリス人であり、モータースポーツ活動の舞台が欧州ではあったものの、「色」の持つ重要性を認識していたと考えられ、だからこそポルシェであっても他のメーカーのクルマであっても「グリーン」を選んだのだとも思われます(この917のボディカラーはBPグリーンではあるが、スポンサーステッカーはカストロールである)。

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ただし1960年代前半に関してはフェラーリを選ぶことが多く(もちろんそれがもっとも勝てる確率が高いから)、250GTOのほかにも250LM、365P2、330P3/4など様々なフェラーリを自身のマシンとして選択しており、新たに入手した250GTOについては前面投影面積を減らすために「トップチョップ」を行うなど独自の改造を行ったこともあったのだそう(このクルマは、フェラーリのファクトリー・ドライバーであるロレンツォ・バンディーニをして”世界最速の250GTO”だと言わしめている)。

デビッド・パイパーは真の自由人、そして信念の人であった

その後もフェラーリへと(グリーンの)レーシングカーを注文しては自分で改造してレースに出場するといった独自のスタイルを貫き、これまでに所有したフェラーリ250GTOは新車が5台に中古が2台(生産された36台の250GTOのうち、7台に乗っているという計算になる)、そして250LMについては6台を乗り継いでおり(250LMの生産台数は32台である)、もしかするとデビッド・パイパーは「自分の乗りたいクルマを選び、好きなようにクルマを改造したかったから」ということのほか、「グリーンのクルマで戦いたかったから」ファクトリードライバーではなくプライベーターを選んだのかもしれません(当然、フェラーリから正ドライバーへの誘いがあったはずである)。

そう考えるとなると、まさにデビッド・パイパーは「信念の人」としかいいようがありませんが、それでもこれらのクルマを走らせ欧州全域に渡るレースで優勝や入賞を量産してくれたとなると、フェラーリが自社におけるモータースポーツの歴史の上で「もっとも重要な人物の一人である」と語ることにも頷けます。※ただし、1960年代後半には、もっと競争力の高いフォードやポルシェへとシフトすることになる

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当時は自動車すら簡単に購入できる時代ではなく、ましてやレースなどは「お金持ちにしかできない」時代ではあったものの、デビッド・パイパーは自身で「教育制度から落ちこぼれ、農場で働くよりなかった」と認めるバックグラウンドを持ち、しかし古いMGを借りてレースに出たことで自らの可能性、そして人生を切り開いた人物であり、しかし自動車メーカーに帰属することを拒み、自らの選択をなによりも重要視し、そして「グリーン」とともに成功を掴み取った信念の人。

そしてその実績が認められ、1970年にはスティーブ・マックイーン主演の映画「栄光のル・マン」の撮影へと参加することになるのですが(リアリティを追求したため、多くの著名ドライバーが呼ばれた)、不運にも撮影中に事故に遭って右足を切断するという重症を負ってしまいます(このときドライブしていたのはポルシェ917K)。

ただ、持ち前の不屈の精神、そして諦めない心をもって左足のみでクルマを操作する方法を身に着け、なんと6ヶ月後にはレースに復帰するという離れ業を見せており、91歳になる今もなお健在、そしてガレージには今でも「複数のグリーンのフェラーリ」が収まるといいます。

そしてフェラーリが2017年に「70周年記念モデル」のうちの一台としてリリースした「グリーンジュエル」は1965-1966年にデビッド・パイパーが走らせた365 P2をモチーフとしており、この”グリーン”はすでにフェラーリのヘリテージのうちのひとつだと言っていいのかもしれませんね。

参照:Ferrari, Rossoautomobile

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