| ランボルギーニはこのLM002に資金とリソースを投じたため、1978年に倒産の憂き目にあっている |
それでも優れたアイデア、時代に先んじるパイオニア精神、何よりもあきらめない心があれば時代を超越することが可能である
さて、ランボルギーニはスーパーSUV「ウルス」を発売していますが、今でもやはりウルスに関し「ランボルギーニがSUVなんて・・・」という向きがあるのもまた事実。
ただしランボルギーニはウルスが登場するよりもずっと前の1986年に「LM002」なるスーパーSUVを発売しており、今回ハガティがそのLM002に焦点を当てる動画を公開しています。
なお、このLM002についてはランボルギーニからも解説がなされているものの、ハガティは独自の視点に立った考察を行っているのがちょっと興味深いところでもあり、その内容を見てみましょう。
ランボルギーニは当時「カネがなく、手っ取り早く稼げる方法を考えた」
今回公開した動画の中で、ハガティのホスト、ジェイソン・カミサはLM002について「ランボルギーニのバッジをつけて大金を稼ぐという、最も詐欺的で、卑劣で、まさに雄牛のような勇ましい計画」だと表現していますが、同時に(のちにウルスにつながっているため)「良いアイデアは決して死なないことを証明している」とも。
そこでまずはLM002が誕生するきっかけとなった1970年代初頭から説明しており、この時代に何があったのかというと、まず1974年にはランボルギーニ創業者であるフェルッチョ・ランボルギーニが自身の持つ株式すべてを売却し、ランボルギーニを「身売り」しています。
もちろん身売りの理由についてはオイルショック等によって経営が傾いたからにほかならず、よってランボルギーニの新しい経営者、アンリ・ロゼッティとレイネ・レイマーは手っ取り早くお金を稼げる方法を考え、それが「BMW M1と軍用車両」。※結局BMW M1については請け負った設計を完成させることができなかった
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Hagerty / youtube
当時アメリカはジープ(M151)後継となる軍用車両を探しており、ここでその候補として名乗りをあげたのがランボルギーニ。
ただしランボルギーニは当時その方面の経験を持っておらず、よってアメリカの設計者とのパートナーシップによって「チーター(下の画像)を完成させて1977 年のジュネーブ モーター ショーにて公開されています。
このチーターは非常に大きな反響、そして人気を誇ったといいますが(当時タミヤがラジコンカーとして発売したほどである)、しかしここで異議を唱えたのがアメリカのFMCなる会社。
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この会社いわく、チーターを設計したのは以前にFMCで働いていたエンジニアで、やはりM151ジープの後継としてFMCが開発したXR311を「そのデザイナーがコピーした」。
これによって(おそらくは他の理由もあったのだと思われるが)チーターは軍用車として採用されることなく終わってしまいます。
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ランボルギーニはついに破産、イタリア政府の管理下に
そこでランボルギーニはこのチーターにかけたコストを回収すること、そしてこれを利用してお金を稼ぐことを考え、BMWからM1開発用として受け取った資金を投じてチーターを市販車へとコンバートすることになるわけですが、ハガティによれば「これは経済的に悲惨な決定であった」。
実際のところこの計画が大きく影響して(BMWからも契約を破棄され)ランボルギーニは1978年に倒産してしまい、イタリア政府の管理下に置かれることとなったわけですね。
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しかしながらチーターを見た中東の政府関係者から「自国の軍用車両として採用したい」といった問い合わせもあり、ランボルギーニはチーターの独自仕様を開発するという計画を継続し、しかしこのチーターは操縦性に難があったとされ、ランボルギーニのテストドライバー、バレンチノ・バルボーニが走行テストにて車両をひっくり返してしまったことからエンジン搭載位置は「車体ミッドからフロントへ」と移されることに(LM002に積まれるのはカウンタックのV12である)。
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しかしその後には中東の軍隊へと納入するという話も消えてしまったため、ランボルギーニとしてはいよいよ「一般人向けに」販売するしかなくなり、そこで内装を革張りにして豪華に仕上げたLM002が(結果的に)誕生し、主に裕福なVIP顧客へと販売されたと言われます。
1986年から1993年の間に301台が生産され、燃費は「リッターあたり750メートル」「タイヤが完全な専用品名のでとんでもなく高額」といった話も聞かれ、維持することが非常に難しく、ランボルギーニを倒産させたように「所有者をも破産に追い込む」と言われるクルマではありますが、その後この(豪華なオフローダーという)コンセプトはウルスとして見事花開いており(LM002がなければ、ウルスに対する否定的な意見はもっと多かっただろう)、これがハガティのいう「人々がそれを実現しようとして破産することを厭わない限り、良いアイデアは何があっても生き残ることができることを証明している」の真意なのかもしれません。
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ランボルギーニLM002の開発「裏話」を紹介する動画はこちら
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参照:Hagerty