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マセラティのエンブレムは今までに11回も変わっている。なお「トライデント(三叉の銛)」を採用することになった由来は2つの説があるそうだ

2023/12/07

マセラティのエンブレムは今までに11回も変わっている。なお「トライデント(三叉の銛)」を採用することになった由来は2つの説があるそうだ

| 自動車ブランドのエンブレムの誕生、そして変遷を追うのは実に楽しい作業である |

マセラティのエンブレムにはときどき「突然変異」が混じっている

さて、自動車ブランドのエンブレムには様々なストーリーがありますが、今回は「マセラティ」。

マセラティというと「トライデント(三叉の銛)」を採用していることで知られており、そしてサイドギルが示すように「3」という数字を視覚化することを好むように思います。

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なお、マセラティ兄弟は全部で6人いたのですが(生を受けたのは7人であるが、3男は生後まもなく死亡している)、自動車メーカーのマセラティを作ったのはアルフィオーリ、エットーレ、エルネストの3人(当時はソシエータ・アノニーマ・オフィチーネ・アルフィエーリ・マセラティ)で、そのためぼくはマセラティでは「3」という数字を重んじるのだろうと考えています。※これについてマセラティが公式に言及したことはない

マセラティは当初「エンブレム」を持たなかった

マセラティは1914年に創業し、当初はスパークプラグの製造や既存車のチューン等を生業としていたものの、1926年4月25日にシチリア島にて開催されたタルガ・フローリオで最初の”マセラティ”の名を冠したスポーツカー、ティーポ2を発表することに。

そしてこのクルマを作り上げるため、ボローニャにあるマセラティ本社にて、アルフィエーリ(4男)、エットーレ(6男)、エルネスト(7男)3名のマセラティ三兄弟は、ファミリーの名に恥じない車両を作り上げるために懸命に働き、その結果としてスーパーチャージャー付き1.5リッター直列8気筒エンジンを搭載し最高出力120馬力を発揮する洗練されたスポーツカーが誕生したもの、そのクルマにはまだエンブレムがなく、そこでマセラティの5男「マリオ」が登場するわけですね。

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マリオは自動車の道には足を踏み入れず、ブレラアカデミーで学んだ画家兼アーティストであったといいますが、愛する兄弟からそのクルマにふさわしいエンブレムの考案を求められた際には快くこれに応じることになり、そこで出来上がったのがマセラティの「三股の銛」をモチーフにしたエンブレム。※マセラティ兄弟はそれぞれ異なる方面で才能を発揮しており、自動車メーカーを作った3人もまた、それぞれ異なる能力にて発展に貢献している。まるでカシオの「樫尾四兄弟」のようだ

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ただ、この三叉の銛をエンブレムに起用した由来については大きく分けて2つの説があり、ひとつは「家族の友人であるディエゴ・デ・スターリッヒ侯爵が、マリオに”トライデントを使用したロゴを作成するよう”提案した」というもの。

そしてもうひとつの物語は「エンブレム考案という役割を仰せつかったマリオはインスピレーションを求めて外出し、 ボローニャの通りを歩きつつ最終的にマッジョーレ広場にたどり着き、そこで目にしたネプチューン像の持つ銛にヒントを得た」というもの。

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なお、これらについては「確たる」記録は残っていないそうですが、マセラティは公式に後者の説を採用しており、ぼくとしても「強さ、力、活力、魅力、バランスを象徴する、ネプチューン神の持つトライデント」をそのエンブレムのモチーフとしたのだと信じるほうがロマンがあっていいんじゃないかと考えています。

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参考までに、起源がはっきりしないエンブレムとしては「シボレーのボウタイ」があり、これについてはシボレー自信も3つの通説を掲げつつ、「しかし決定的な記録は残っていない」とコメントしていますね。

マセラティのエンブレムはこういった変遷を辿っている

そこでマセラティのエンブレムの変遷を見てみると、こちらが1937年からの「二代目」で、珍しくブルーが使用されていないバージョンです。

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1943年からはちょっと日産っぽい感じ。

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1951年からは現在のマセラティっぽい感じに。

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1954年からはブルーが濃くなってさらに今っぽい雰囲気に。

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1983年からはブルーとホワイトというこれまた珍しいカラーリングとなりますが、これは当時の(マセラティの)経営者がデ・トマソであったことに起因するのかもしれません。

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ちなみにデ・トマソはアルゼンチン出身であり、よってデ・トマソのエンブレムは「アルゼンチン国旗カラー」を採用していて、デ・トマソは自身が手に入れたマセラティについても、そのエンブレムをアルゼンチンカラーへと変更したんじゃないかと考えています。※デ・トマソがマセラティを所有していたのは1976年〜1993年で、1983はビトゥルボのヒットによってマセラティが息を吹き返した時期でもある

デ・トマソ

ただし1985年にはもとに戻り・・・。

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フェラーリの子会社となった1997年にはエンブレムを微調整。

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2006年にはブルー部分が最大化(2005年にはフェラーリ傘下を離れ、アルファロメオと統合している)。

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2015年にはシンプルな構造となり・・・。

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2020年にはレトロなフォントへ。

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マセラティのエンブレムの変遷を紹介する動画はこちら

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参照:Creatch & Cars

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