■駄文(日々考えること)

ボクは猫を洗わない。「シャンプーしたほうがいい」というのは人間側の常識でしかないから

猫とシャンプー

| 猫を人間の常識にあてはめてはならない |

我が家には数匹の猫がいるのですが、ぼくは基本的に「猫を洗わない」んですよね。

その理由としては単に「猫は洗う必要がないから」で、更にその理由は「猫には汗腺がほぼなく、人間のように老廃物が皮膚の外に出てくることがほとんどない」と考えているため。

もともと猫は狩猟を行う動物であり、よって獲物に自らの「匂い」をさとられないための身体的構造を持っていて、そのために人間とは全く違う生き物だと捉えています。

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人間の価値観を猫に押し付けることができない

そのためぼくは、猫と暮らすには「人と猫とはそもそも根本的に違う生き物である」ということを理解する必要で、人間の価値観を猫に押し付けることはできない、とも考えています。

たとえば「体を洗ったほうが清潔」というのは人間の人間に対する常識ではありますが、猫にとってそれは常識ではなく、上述の理由によって「正論」だといえないかもしれない、ということですね。

加えて、猫を洗うと水や洗剤が耳の中に入って病気になったり、皮膚を刺激して不快感を与えたり、洗剤を完全に流せていないとそれを舐めてしまったりという危険性もあり、そういったリスクを考慮してまで人間の常識によって「洗う」のは猫にとって不条理極まりないかもしれません(加えて、猫に対しては相当なストレスになる)。※人類が宇宙人に支配され、宇宙人の常識によって管理されるようになったら嫌なのと同じ

ただ、外に出る機会が多かったり、なんらかの事情で汚れやノミなどがついてしまった場合、洗う必要がある場合、猫がシャンプー好きな場合は別であり、シャンプーそのものを否定しているわけではなく、「妄信的に、かつ人間の事情にて猫をシャンプーする」のではなく、猫には猫の事情があることをまず考えなくてはならない、ということですね。※我が家の場合は完全室内飼いであり、汚れる機会もないので、まず猫をシャンプーすることがない

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人は「他人も自分と同じ」と思いがち

こういった例は「人と人」にもあてはまり、同じ人間であっても自分の常識を他人に当てはめがち。

ずっと前の頃ですが、高校生の頃にトミー(日本人。富田という名字だったので通称トミー)という教師がいて、夏休みなどにはトミーの家に数人で合宿に行くのが常であったのですが、このトミーは大変な暴君であり、たとえば「オレは朝にヒゲを剃るからお前らもそうしろ」と主張。

トミーはヒゲが濃いので、夜にヒゲを剃ると朝にはけっこう伸びてしまっているために「朝に剃る」わけですが、ぼくらの中にはヒゲが濃くない者もいて、必ずしも朝にヒゲを剃る必要はなく、しかしトミーはそういった個人の事情を考慮せず、自分がいいと信じている方法を他人にも(本当にそうしたほうが良く、本人のためになると思って)強要していることになります。

つまりそこに悪意はない(と信じたい)ものの、結果として他者の自主性を無視したり、多様性を排除する結果になってしまっているわけですね。

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他人はどこまで行っても他人である

似たような例だと体育教師が挙げられると考えていて、これもぼくが高校の頃の体育教師にオーツ(日本人。名字が大津だったのでオーツ)という人がいて、当然体育教師というのは運動が得意なので、運動ができない人のことを「努力が足りない」で片付けることも。

よって、逆上がりができなかったぼくに対しても「やる気がない」「怠けている」「努力が足りない」と一蹴することになるわけですが、ぼくとしては「できないものはできない」わけで、しかしオーツはなぜぼくが逆上がりをできないのか考えることがついぞなかったのですね。

たとえば、そこで「なぜ逆上がりができないのか」を考え、その問題を解決する方法を見つけるという指導をしていたならば、ぼくは逆上がりができるようになっていたかもしれませんが、残念ながらお互いは理解できずにいるわけです。

これ以外の例においても、同棲や結婚にて「お互いの常識の違いを知った」という経験をした人も多いかと思いますが、ほんのちょっとしたことであっても、人間関係を破壊する例は多々あるかと思います。

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他人を理解することからすべてがはじまる

こういった、そしてそのほかの様々な経験から、ぼくは「他人はどこまで行っても他人は他人」だと考えていて、それは猫に対しても同様です。

ですが、「自分と違う」他人だからこそ、他人の視点に立って理解しようとする姿勢が大切であり、そうやって自分と違う人や考え方、種族を受け入れることでお互いの信頼を築けるのではないかと考えているわけですね。

他の人が「自分と同じ」だという先入観をもって接し、しかし自分と違う考え方を示した場合には紛争に発展することがあるかもしれませんが、最初から「お互いが異なる考え方を持つ」と考えていれば共通点や妥協点を見出すことができ、うまくやってゆくことができるのではないか、とも考えています。

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