■駄文(日々考えること)

ボクの判断は「一瞬」である。なぜボクは悩まないのか、そして悩むことを無駄だと考えているのか

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| ものごとを前に進めるための「悩み」は悩みではない |

悩みとは、そこから自分を動けなくする呪縛のことである

ぼくは一般に「決断が早い」と言われることがあるのですが、それは自分でも自覚していて、その理由は「考えても考えなくても結果は変わらないから」。

そして結果が同じであれば、考える時間のぶんだけ無駄ということになり、無駄を嫌うぼくとしては「さっさと判断して次のことを考えよう」と思うわけですね。

なぜ「考えても考えなくても結果は変わらない」のか

そもそも論として、人が悩むときにはすでに答えが出ているともぼくは考えており、しかしそれでも悩むのは決断を先送りにしたり、決断に対する理由を探しているだけだと考えています。

たとえば「フェラーリを買うかどうか迷っている」という場合、すでに結論として頭の中には「フェラーリを買う」という結論が出ているのではないかと思います。

ただ、それでも悩むのは

  • 支払いどうしよう
  • 自分に運転できるのか
  • 維持費が払えるのか
  • 家族をどう説得しよう

などの「購入に付随する要素」だと思われ、「買うかどうか」そのものを悩んでいるわけではない、というのがぼくの認識です。

そして悩んでいる間にどんどんインフレによって車両価格が高くなったり、受注が締め切られたりして「購入に対するハードルが上がってゆく」可能性があり、であれば悩んでいる時間があれば「とりあえず注文を入れ」、その後のことはまた後で考えればいいんじゃないかというのがぼくの考え方。

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ただ、これは「後先考えずに行動する」というわけではなく、「フェラーリを買うかどうか」と考えた時点で一定の財力があるものと考えられ、となると購入をためらう理由は”心理的障壁が作り出した幻影”なのかもしれません(たとえば”自分なんかがフェラーリを買ってもいいのだろうか”というような)。

さらに言えば、買わない理由を探すよりは、「ガレージにフェラーリがあったほうが人生楽しくなるだろう」など買う理由を探したほうがずっと健康的であり、だからこそぼくは何事も前向きでいることを念頭に置いています。

結果的に「悩む時間」は人生の浪費である

あるいは逆に、「買おうかどうか」悩んでいる場合でも、心の奥底では「買えない」とわかっている場合もあるのだと思われ、それでも悩むのは「なんとか買えないものか」という希望がちらつくためなのかもしれません。

もちろん「なんとかできないことをなんとかする」のは人生において非常に重要なことではありますが(ぼくは常にそうやって生きてきた)、それでもどうにもできない場合もあり、よって「どうしても買えない」場合も考えるだけ無駄。

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その場合はいったん「フェラーリを買う」という想いを捨て、「どうすれば買えるのか」という次に向けた計画を考えることが「前向きな人生」なのかもしれません。

こういったこともあって、ぼくの中では常に「する」「しない」という二者択一であり、「する」のであれば、あるいは「しない」にしても一瞬で判断したほうがすぐにでも次の(もしくは別の)アクションにとりかかることができ、よって「ものごとを先送りにしない(ただし状況による)」というぼくの性格が判断を早めさせているのだと思います(悩んでも悩まなくても、結果的にすることが同じであれば、悩まないほうがいい)。

さらに言えば、「したくないけど、絶対にしなくててはならない」ことがあるとすれば、それを先延ばしにしつつ重い心を引きずるよりも、さっと先にそれを片付け、その後楽しく過ごしたほうが人生ずっと建設的であろう、とも考えています。

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