| ボクにとって前のクルマを抜くということは、自分で自分の人生を切り開くこと、自由を得ることを意味している |
たとえ結果が同じだとしても、そこに至るまでには信念を貫くべきである
さて、ときどき論じられるのが「前のクルマを追い抜いたり追い越したりしても、その先が渋滞して詰まっていれば、結局抜いたクルマに追いつかれてしまって結果はほとんど一緒」ということ。
これはクルマを運転しない人、あるいは助手席に座る人にとっては非常にわかりにくいことかもしれませんが、ぼくは声を大にして「それは違う」と言えるわけですね。
いったいなぜ「それは違うのか」
ぼくからすると、それは「心の健康」と「心の豊かさ」に関係していると捉えていて、たしかに「抜いたクルマに追いつかれると」そのクルマが前にいるか後ろにいるかの違いだけで、目的地への到着時間は変わらないかもしれません。
ただ、ぼくとしては「遅いクルマを(合法な範囲で)抜いて前に出る」ということには大きな意味があると考えていて、それは遅いクルマに前をブロックされて自由を制限されるのではなく、その前に出て自由を獲得することを意味していると考えているから。
これは「A」という地点から「B」という地点に移動するに際し、公共交通機関で「運ばれる」か、あるいは自分の足で、もしくは自分の自転車で、はたまた自分のバイクやクルマで”自分の意志と判断で”移動するのかという問題にも似ていて、選択権を周囲に任せるのか、選択権を自分で持つのかということにも置き換えることが可能です(生殺与奪権がどちらにあるのかという問題でもある)。
ぼくは常に、自分に関しては「自分が選択できる」状態にしておきたいと考えていて、そのため自分の進路をブロックされること、動きを制限されることをひどく嫌う傾向にありますが、これは他人にコントロールされることを受け入れることができないというぼくの性質にも由来しており、そしてこの性質のため、ぼくは「組織の中で仕事ができない」「組織に属することができない」わけですね。
そして選択権が自分にある場合、ぼくは自由を得ることになり、その反面リスクを背負いこむことになるかもしれませんが、自分の選択の結果によるリスクであれば喜んでそれを引き受ける覚悟が(常に)できています。
結果が同じであれば過程が「どうでもいい」わけではない
そしてもうひとつ、たとえ結果が変わらないとしても、ぼくにとってはその「過程」が非常に重要であるということ。
たしかにこの場合、前が渋滞していれば「抜いても抜かなくても」結果に大した変わりはなく、しかしその過程が持つは(少なくともぼくにとって)大きく変わります。
たとえば、生命を維持するのに必要なカロリーを接種するとして、「同じカロリーであれば何を、どんな風に食べても同じ」だと考える人は少ないかもしれません(ゼロではない)。
つまり、1日に2,500キロカロリーを摂るとして、それを「見た目がぐちゃぐちゃで、冷めきっていて、味気ない」ものとして口に入れるよりは、すこしロマンチックな環境で、素敵な盛り付けで、より美味しく(さらに言えばより理想的な相手と)食べるほうがいいんじゃないかということです。
さらに、なにかにチャレンジして失敗すれば「やらなかったのと結局は同じ」「むしろ労力の無駄」かもしれませんが、例え失敗しても「次に失敗しないための一つの教訓を得た」と考えれば、それはひとつの大きな前進です。
人は誰しも、自分の人生をより良くしたいと考えている
ぼくは、人は誰しも「すこしでも心を豊かにしたい」「すこしでも幸せになりたい」という願望を持っているんじゃないかと考えていて、それを追求することがその人の人生を豊かにするのではないかと捉えています。
そして、手が届かないものに対して手を伸ばそうとする行為(あるいは挑戦)こそが人生において重要なことではないかとも認識していて、その意味においても「自分をブロックする」存在の前に出ることはぼくの生き方の縮図でもあるわけですね。
よって、ぼくが「少しでも前に出ようとする」のは競争心や虚栄心、相手を打ち負かそうとするためではなく、「自分が自分であるという自我を保つこと」「すこしでも人生をより良くすること」という、自分自身のみに関係する事象です。
さらに言えば、ぼくは他人との勝負や勝ち負け、権力には興味がなく、よって地位や名誉にも全く執着しないのですが(むしろそういったヒエラルキーの外にいたい)、反面とても気にするのが「自分に正直に行動できたかどうか」。
「そうすべきときにそうしなかったこと」があれば、後に強い自己嫌悪に陥ることがあり、そうしないためにもぼくは毎日、そして常に「今自分がやるべきこと」を結果にかかわらず行うわけですね。
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