| メルセデス・ベンツほどの歴史があれば、もう何があっても驚かない |
そして140年超もの間、自動車業界の第一線に居続けていたことにも驚かされる
さて、メルセデス・ベンツ創業者、カール・ベンツは「自動車を発明した」人物であることが知られていますが、メルセデス・ベンツのルーツはカール・ベンツが1883年に設立したベンツ&Cie.にあり、そこから数えるとなんと141年もの歴史を誇ります(「メルセデス・ベンツ」が設立されたのは1926年)。
よって、その長い歴史の中にはさまざまな「知られざる事実」があり、ここでそれらを見てみましょう。
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1.カール・ベンツは人類最初の運転免許取得者である
上述の通りカール・ベンツは自動車を発明した人物その人ではあるものの、当時の自動車は「うるさく、すぐ壊れる」というシロモノであり、馬よりも遅く、さらには当時の主要交通機関のひとつであった馬を路上で驚かせる存在であったと言われます。
よってすぐにその騒音や(排気ガスの)臭いに関する苦情が殺到し、マンハイム市長の命令によって”人類最初の自動車”であるモーターワーゲンは走行を禁止されてしまうことに。
ただ、当局としても自動車の持つ意味、そしてカール・ベンツがそれをテストする必要性を理解していて、それを公的に認める形で1888年にバーデン大公国マンハイム地方事務所から「市街路とその周辺地域で車をテストするための最初の運転免許証」を与えられることになったのだそう(もし当局が運転免許を発行せず、全面的に走行を禁止していたならば、今の自動車業界はまた違ったものとなっていただろう)。
参考までに、走行によって生じた損害についてはカール・ベンツが責任を負ったといい、当時は「自動車保険」が存在しなかったため、これは当然であったのかもしれませんね。
2.世界最初の自動車は「盗まれた」ことがある
そして次はこの「世界最初の自動車」が盗まれたという話で、盗んだのは他ならぬカール・ベンツの妻であるベルタ・ベンツ。
なぜそうしたかというと、上述の通り当時のカール・ベンツの発明した自動車は「役立たず」だと思われており、人々の嘲笑の対象となっていて、これに我慢ができなかったのがベルタ・ベンツ。
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彼女は夫の発明の有用さを知らしめるため、夫に黙って1888年のある朝にニ人の子供を連れて自動車に乗り、約85キロ離れた実家へと出かけます(カール・ベンツは目覚めた後、”実家に行ってくる”と書かれた妻のメモを見て自動車がなくなったことを知った)。
ただ、当時の85キロというのはとてつもなく長い距離であり、馬であっても走りきれる距離ではなく(7-8頭の馬を交換する必要があったとされる)、それは自動車であっても同じこと。
さらに当時はガソリンスタンドなどあろうはずもなく、彼女は道中の薬局にてリグロイン(軽質ガソリン)を買い求めながらこの距離を走りきり、2日後に無事カール・ベンツの元へと戻ってきます。
これによって「自動車は馬よりも有用である」ことが立証され、ベルタ・ベンツは「人類史上、はじめて自動車で旅をした」女性として広く知られることになり、これをきっかけとしてカール・ベンツの「自動車という発明」に注目が集まったわけですね。
3.フロントグリルは「マイバッハ」によって発明される
自動車の印象を決定づける存在の一つが「フロントグリル」。
このフロントグリルの内側にはエンジンを冷却するための水を循環させ冷やすための「ラジエター」が存在しますが、このラジエター、そしてグリルは1900年にウィルヘルム・マイバッハ(当時のダイムラーの技術部長)が考案した機構に由来しています。
エンジンを冷却する方法を見つけることは初期の動力開発にとって極めて重要で、ウィルヘルム・マイバッハはまず1897年に管状ラジエーターの開発に着手することに。
これはこれで大幅に役に立ったものの、改良の余地があることを彼は認識しており、それが現在にまで繋がるハニカム ラジエーターにつながっています(そしてこれが現代の自動車においても大きく構造を変えず、内燃機関における中核機能として役立っていることは驚きである)。
これは自動車設計に革命をもたらし、競合他社はそれを模倣して車両の性能を向上させようと躍起になりますが、ある段階においてメルセデス・ベンツはこのラジエター、そしてそのカバーであるグリルは自動車の外観の基礎となる可能性、差別化のための有効な手段であることに気づき、これが自動車における「グリル」の美的可能性への扉を開いたとされています。
4.アンチロックブレーキ(ABS)は当時のメルセデス・ベンツSクラスに初めて搭載され実用化される
現代においてアンチロック ブレーキは「自動車における標準装備」のひとつとなっていますが、その実現には何十年もの歳月を要しています。
驚くべきことに、メルセデス・ベンツがABSの基礎となる特許を提出したは1953年だとされ、この実現のためにメルセデス・ベンツはテルディックス (後のボッシュ) との協業を行うことになり、ようやく実用レベルの試作品が完成したのが1970年。
このシステムはうまく機能したものの、初期段階では「アナログ+コンピューター」との組み合わせであったといい、しかしメルセデス・ベンツはそこから改良を進めてフルコンピューター制御とした上で1978年に発表されたW116Sクラスに搭載してデビューさせ、安全性に関する歴史を塗り替えることに成功しています。
5.メルセデスとAMGが共同で作った最初の車は1993年のC36 AMGだった
現在「AMG」はメルセデス・ベンツのハイパフォーマンスシリーズの代名詞となっていますが、もともとはメルセデス・ベンツとは別資本の「チューナー」で、しかしメルセデス・ベンツ(当時はダイムラー・クライスラー)が1999年に買収することでAMGを傘下に収めています。
なお、買収に先駆けてメルセデス・ベンツとAMGは1990年にパートナーシップ契約を締結しており、そこで誕生したはじめての「メルセデス・ベンツとAMGとのコラボレーションによるクルマ」が1993年のC63AMG。
C280 をベースとし、エンジンは2.8リッター直列6からE320の3.2エンジンにアップグレードされ、さらに 3.6リッターへとボアアップすることで268馬力を獲得しています。
このほか、SL600のフロント ブレーキ、E320のインテーク、E420の4速オートマチックなど多くのパーツを上位モデルから流用しており、これも「協業の成果」だと考えて良いかと思いますが、この後続々と登場したAMG各モデルの成功によってメルセデス・ベンツがAMGを吸収することに決め、そして今では(AMGが)メルセデス・ベンツにおける一つの柱となっているわけですね。
6.メルセデス・ベンツSLS AMGは、メルセデスAMGがゼロから開発した最初の車両だった
そしてメルセデス・ベンツ傘下に収まったAMGが最初に「一から開発した」スポーツカーが2010年に登場した(発表は2009年)SLS AMG。
そのオマージュ元はかの300SLガルウイングであり、搭載されるのはM159型6.2リッターV8エンジンで、その出力は571馬力/650Nm、0-100km/h加速は3.8秒、最高速は317km/hというスペックを誇ります。
「クーペ」のほか、「ロードスター」「ブラックシリーズ」がリリースされ、この後AMGは「GT」「GT 4ドアクーペ」という独自モデルを開発しており、新型SLについても開発を主導するなど非常に重要な役割が与えられていて、メルセデス・ベンツの中でもますますそのポジションが高まっていることもわかりますね。
7.メルセデス A クラスは「ムース テスト」を有名にするのに貢献した
現在、そのクルマの機器回避性能を測るうえで重要な指標となっている「ムーステスト(エルクテスト)」ですが、これが有名になったのは1997年の「ある事件」。
この事件がいったい何だったのかというと、「Teknikens Värld」というスウェーデンの小さな雑誌が行った(発売されたばかりの)新型メルセデス・ベンツA クラスについてテストに関係していて、このテストの内容が(同誌が考案した)ムーステスト。
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これは走行中、道路に飛び出てきたムース(鹿)を避けてまた元の車線に戻るという環境を想定したテストなのですが、同誌が試したいくつもの車両の中でメルセデス・ベンツAクラスが「ずば抜けて」悪い成績を収めてしまい、この結果が公表されるやいなやそのニュースが世界中を駆け巡り、メルセデス・ベンツは最終的に販売したAクラスの全台数をリコールし、より硬いスタビライザーバー、より大きなタイヤ、および低い車高を与えるという改良を行っています。
なお、当時大きな問題となったのは、その結果があまりにもひどかったというだけではなく、Aクラスが「メルセデス・ベンツがはじめて発売するFFコンパクトカー(大衆車)」だったからだと思われ、そのためテスト以前からAクラスへの注目度が高かったためだと考えられます。
参考までに、メルセデス・ベンツは非常に安全性を重視している会社として知られており、よってこの問題を解決するために関係者が「ほぼ一ヶ月」不眠不休で解決策を考えたという話もあるそうですが、同社は汚名をそそぐため、丸一日分の新聞とテレビの広告枠を買い取り、まずエルクテストにおけるロールオーバー(転倒)のリスクについて非を認めたうえで、どのように修正されたかを発表し、さらには、問題が解決したことを証明するため、最初にエルクテストの結果を報じたジャーナリストを雇い、改めて修正したAクラスに問題がないことを客観的に確認させています。
8.メルセデス 500E はポルシェによって手作りされた
メルセデス・ベンツ「500E」はポルシェが設計し製造したクルマとして知られ、日本ではバブル期が重なったこともあって非常に高い人気を誇ったことでも有名です。
この500Eは「メルセデス・ベンツはM5に勝てるハイパフォーマンスセダンを発売したかったものの、新型Sクラスの開発のためにリソースが不足していた」「一方でポルシェは販売不振にあえぎ、仕事がなかった」という両者の利害が一致したことからメルセデス・ベンツがポルシェに開発を委託したことで誕生していますが(両者は地理的にも近い)、この500Eの最大のポイントは5リッターV8エンジンの搭載。
このV8エンジンは「普通の」V8ではなく、ル・マン24時間レースを制したザウバーC9に積まれていたM119型であり、しかし「簡単にこのエンジンが収まらず」、よって500Eの車幅が広げられることになるわけですが、「広くなりすぎたため」メルセデス・ベンツの生産ラインに載せることができず、やむなく一部をポルシェの工場にて製造し、両者の工場を往き来して完成させることになったわけですね。
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もちろんこのパワー(322馬力)に見合うだけの設計変更がなされ、SLのサスペンションやブレーキを移植するなど大改修を行うことになり、そのためにコストが非常にかかかったため「商業的には失敗作」と言われることも。
そしてこの失敗、さらには同時期にポルシェがアウディと共同にて初のRSモデル、アウディRS2アバントを開発したことがメルセデス・ベンツの耳に入ってしまい、これに激怒したメルセデス・ベンツが500Eの生産を中止しポルシェから引き上げた、という話も聞かれます。
10.メルセデス・ベンツは約30年前に自動運転車を発明していた
メルセデス・ベンツは現在自動運転における「トップランナー」のうちの1社ではありますが、ここまで来るには(ABS同様に)長い時間を要しており、最初に自動運転に着手したのはなんと1980年代の半ばだとされています。
(当時の)ダイムラー・ベンツは他のメーカー、研究機関、エレクトロニクス企業と協力して、”エウレカ プロメテウス”なるプロジェクトを立ち上げ、この目標はズバリ自動運転技術の探求。
この後10年の研究を経て、1995年にW140世代のSクラスにてこの技術がデビューしており、コンピューター、カメラ、GPS、センサーなどを満載したこのSクラスは、ミュンヘンからコペンハーゲンまでの道のり(約1,700km)をほとんど人の手を介さずに移動することができ、アウトバーンで他の車両を追い越しながら時速185キロで走行することが可能です。
ただ、そこから随分経つにもかかわらず、未だ「完全自動運転」が実現しておらず、「80点くらいまでは簡単だが、80点から100点にするのは難しい」ということもわかりますね。
11.ネパールには道路ができる前からメルセデス・ベンツが存在した
かつてインドに最初にロールスロイスが輸入された時、ガソリンスタンドがなかったので「輸入と同時にガソリンスタンドを設置した」とも言われていますが(都市伝説かもしれない)、メルセデス・ベンツについても同様の話があり、アドルフ・ヒトラーが1938年から1939年頃、当時のネパール国王であるトリブバン王にメルセデス・ベンツを寄贈したもよう。
これは「ネパールがイギリスと同盟しないよう」先手を打ったためだと言われているものの、当時ネパールには通行可能な道路もガソリンスタンドもなく、よってこのクルマが走るために道路そしてガソリンスタンドが建設されることになったと広く信じられています。
おそらくトリブバン国王は、1955年に亡くなるまで定期的にこのメルセデス・ベンツを使用し、その後タパサリー テクニカル キャンパスに寄贈され、そこで長年にわたって教育と研究に使用されることになりますが、1956年にネパールとインドの間にトリブバン高速道路が建設されるまで、多くの富裕層や権力者がメルセデス・ベンツを輸入したという話もあるようですね。
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参照:CARBUZZ, Mercedes-Benz