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ブガッティが「世界初の専用設計レーシングカー」、タイプ35について語る。「自動車に関し正式な教育を受けていなかったからこそ、常識外れのクルマを設計できたのです」

ブガッティが「世界初の専用設計レーシングカー」、タイプ35について語る。「自動車に関し正式な教育を受けていなかったからこそ、常識外れのクルマを設計できたのです」
Bugatti

| ブガッティは創業当初から「並外れた」存在であった |

その思想は現代に至るまで受け継がれる

さて、ブガッティが「その歴史を語るうえで外すことができない」タイプ35を紹介するコンテンツを公開。

このタイプ35はブガッティ創業者、エットーレ・ブガッティによって考案されたクルマですが、そこには「エットーレ・ブガッティでしかなしえなかったであろう」理由があるといい、ここでその内容を見てみましょう。

エットーレ・ブガッティは専門の教育を受けたエンジニアではなかった

ブガッティ・タイプ35は(デビューした)1924年としてはあまりにも革新的で、非常に多くの最新技術を導入し、モータースポーツの基準を新たなる高みに引き上げたことで知られていますが、それは慣例や制約にまったく束縛されない精神からのみ生み出されたものだといいます。

いったいどういったことなのかというと、まずブガッティ創業者であるエットーレ・ブガッティは芸術家一族に生を受け、その興味の範囲は多岐にわたり、知識も広範であったとされますが、その一方で「専門に自動車の設計を学んだエンジニアではなかった」という側面も。

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しかしながら、通常であれば障害となってしまう「専門分野の知識不足」についても、エットーレ・ブガッティの場合は「利点」として働き、それまでの自動車業界の常識を持たなかったがゆえに斬新な発想を盛り込むことができたと言われています。※これは1923年に「タンク」を発表したことからも明らかである

「美しいクルマ」を作ることで知られるブガッティ。実は「戦車(タンク)」と呼ばれるこんなクルマ、タイプ32を1923年に作っていた
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そしてこのブガッティ・タイプ35は意外なことに「世界で初めて、レーシングカーとしての専用設計を持つクルマ」。

これまでの”レース用に改造されたロードカー”とは異なり、エットーレ・ブガッティによる全体的なコンセプト、さらには細部に至るまで細心の注意を払ったアプローチにより、デザイン、エンジニアリング、使用される素材、ハンドリング、パフォーマンスにおいてこれまで考えられなかった基準を打ち立てるクルマが誕生し、数々の勝利を量産することによって他の自動車メーカーに(車両開発における)アプローチの完全な再考を強いることとなったのだそう。

エットーレ・ブガッティは誰もそれを意識していなかった時代にエアロダイナミクスに着目していた

ブガッティ・タイプ35を他のクルマと全く異なるものとしていたのはまず低く滑らかな車高。

さらに他のクルマがワイヤースポークホイールを採用していたのに対し、タイプ35では鋳造合金を採用することでバネ下重量を軽減し、同様に革新的な方法でブレーキドラムを一体化したこと。

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加えて他のクルマではリアサスペンションが露出していたものの、タイプ35ではアルミニウム合金パネルの楕円体ボディ内にインテグレートされており、これによって空力特性が大きく向上することとなっていますが、当時ほとんど重要視されていなかったエアロダイナミクスにいち早く着目したのもエットーレ・ブガッティならではだと言えそうです。

ブガッティ・タイプ35に搭載されるエンジンは2.0リッター直列8気筒24バルブ、しかしその後排気量は2.3リッターに拡大され、さらにスーパーチャージャーが追加されています。

2つのローラー ベアリングと3つのボール ベアリングでアルミニウム クランクシャフトをサポートするという先駆的な適用によりエンジンは6,000rpmまで回転し、当時のクラス最高のパフォーマンスである90PSを発揮することに。

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さらにエットーレ・ブガッティは、優れたパフォーマンスは「馬力の追加だけでなく、重量の軽減によっても生み出される」ことを理解しており、機能や信頼性を損なうことなく、すべてのコンポーネントを可能な限り軽量に製造するという取り組みによって車両重量はわずか750 kgに抑えられています。

ブガッティが目標を達成するために講じた数多くの対策には「中空フロントアクスルの開発」も含まれており、リアアクスルにおいても従来のアクスルとは異なって「真っ直ぐ」ではなく、シャーシ周りにフィットするように中央がくぼみ、ホイールハブに接続するために端が盛り上がるなど「当時の常識では考えられない」仕様を持っていたようですね。

これらはまさに「比較されるようであれば、それはブガッティではない」というエットーレ・ブガッティの信念が見事に表されたところだと考えられ、現代にまで脈々と引き継がれる特質なのかもしれません。

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ブガッティ・タイプ35はロードカーとしても優れていた

そしてもうひとつ特筆すべきは「ブガッティ・タイプ35はレーシングカーとして設計されたのに、非常に優れたロードカーとしても機能した」こと。

実際にロードカーへとコンバートされた車両も存在し、その卓越した設計によってロードカーとしての信頼性と快適性を証明していますが、同時に「いかにレーシングカーとして設計されたクルマであったとしても、優れたエンジニアリングを持っていれば、サーキットと公道の区別なく優れた性能を発揮できる」ということを世に示したのがこのタイプ35でもあったわけですね。

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1924 年の発表時、ブガッティ・タイプ35は自動車業界の礎石としての役割を果たし、車両デザインとエンジニアリングの認識方法を完全に変えました。1世紀経った今でも、その影響力と魅力は衰えておらず、タイプ35 はブガッティ・ブランドの中心です。我々のDNAは、ブガッティ・アトランティックとブガッティ・ロイヤルとともにあります。ブガッティが製造するすべての自動車は、100年前のタイプ35で見事に表現されたエットーレ・ブガッティのデザインとエンジニアリングの価値を忠実に受け継いでいます。

ルイージ・ガリ(ブガッティ・ヘリテージ・スペシャリスト)

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参照:Bugatti

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