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アウディTT企画時には「ポルシェ版」も作られる可能性があった!その知られざるエピソードをTT生みの親が語る。「政治的理由があり、うまくゆかなかったのです」

アウディTT企画時には「ポルシェ版」も作られる可能性があった!その知られざるエピソードをTT生みの親が語る。「政治的理由があり、うまくゆかなかったのです」

| ポルシェ在籍時に考案したデザインがアウディに持ち込まれ、TTとなったことは知っていたが |

さらにデザイナーは「TT」という名も同時に考案したようだ

さて、アウディTT(とくに初代)は自動車史においてもっともアイコニックなクルマの一台だと認識していますが、現在は世界中の各市場にて販売が終了しており、ここ日本でもTTの販売終了を惜しみ、最終記念限定モデルが登場したばかります。

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そして今回報じられているのが、「ポルシェ版のアウディTTが登場する可能性があった」という事実で、これはTTの生産終了を記念して開催されたイベントにて、初代TTのデザイナーであるフリーマン・トーマス氏がカーメディアに語ったもの。

初代TT企画時には、ポルシェ版TT、アウディ版TTのデザインが同時になされる

当時アウディに在籍し、デザイナーを務めていたフリーマン・トーマス氏によれば、TTの企画に際し、「ポルシェバージョンとアウディバージョンのデザインを依頼され」、ポルシェ側のデザイナーもまた「ポルシェバージョンとアウディバージョンのデザインを依頼された」とのこと。※当時のポルシェのデザインチームは、ハーム・ラガーイ氏によって率いられていたものと思われる

なお、フリーマン・トーマス氏はポルシェに在籍していた経験があり、よってポルシェのDNAをよく理解していたようで、それを踏まえて「アウディ版はよりアウディらしく(ポルシェとは被らないよう)」デザインし、当時アウディのデザイン部門を率いていたジェイ・メイズ氏に「彼ら(ポルシェ)がやろうとしているのはこれ、私たち(アウディ)がややるべきなのはこれ」だと説明してデザインを提示したのだそう。

フリーマン・トーマス氏が作成したのはバウハウス的なデザインを持ったクルマで、ポルシェがデザインしたTTは非常にスタイリッシュであったといいます。

その後はアウディ本社にて会議が持たれることになり、しかしこれは「極秘」で行われたとされ、メンバーはアウディとポルシェのデザイングループ、そしてアウディ上層部のみ。

そこで双方のデザインチームがそれぞれ2つのスケールモデルをもって会議に臨み、しかし”主に政治的な理由から”それはうまく進まなったとも語っています。

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当時、アウディとポルシェとは「仲が良くなかった」

ここでちょっと説明をしておくならば、当時のポルシェとアウディとは別会社であり、ポルシェがアウディとおなじフォルクスワーゲングループに入ったのは2012年です。

アウディTTの登場は1998年で、(TTの)コンセプトカーの発表は1995年なので、今回フリーマン・トーマス氏が語っている「会議」は1993年あたりだと思われ、となるとここで出てくる疑問が「なぜ別会社であるアウディとポルシェとが一緒にTTを考えたのか」。

これはひとえにポルシェ創業者一族であるフェルディナント・ピエヒ氏が絡んでいるからだと思われ、当時フェルディナント・ピエヒ氏はアウディの取締役を努めており(1988年に就任、1993年にVWグループ会長職へ)、つまりはアウディ内ではかなり高い地位にあったものと思われます。

一方でポルシェに対しては「創業者一族」ということで、所有する株式という形で関与していたわけですね。

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そしてポルシェは当時「新しいスポーツカー」を開発しようと考えていて、そこでフェルディナント・ピエヒ氏がアウディで持ち上がった話をポルシェと結びつけ、共同開発を行おうと考えたのかもしれません。

ただし当時のポルシェ、そしてアウディは関係性のない別々の会社であり、フリーマン・トーマス氏の言うように「政治的な問題(利害の不一致)」が存在したこともうなずけます。

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その後、二回目の「ポルシェとアウディ」との会議が持たれるが

そして「うまくゆかなかった」一回目の会議の後にも二回目の会合が持たれることになり、ここではもう少し進んだ話へと踏み込んでいて、そこでフリーマン・トーマス氏が用意したのは「オープンモデル」。

その理由としては「一回目の会議ではクーペモデルの反応が芳しくなかった」から。

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それでも製品化に向けて具体的な話へと進行したこともまた事実であるようで、しかしポルシェはアウディに対し「4WDを採用しないよう」「ポルシェ版よりも馬力を低く抑えるように」という制限をかけようとし、どうやらここで交渉が決裂したもよう。

かくしてアウディは突如1995年のフランクフルト・モーターショーにて(クーペ版の)アウディTTを発表しポルシェを”出し抜く”わけですが、ここからTTの歴史が始まったというわけですね。

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参考までに、ポルシェはこの「ポルシェ版TT」とはまた別にプロジェクトを進行させていたと見え、それが「ボクスター」。

ポルシェは1993年のデトロイト・モーターショーにおいてボクスター・プロトを発表しており、時系列的に考えるとこれは「アウディTTとは別のラインにあった」計画だと考えられます。

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ただしTTはもともと「ポルシェ」として考えられたようだ

もう一つ参考までに、今回の報道とは別に、ケン・オクヤマ(奥山清行)氏もアウディTTの開発秘話について語っており、自身の著書「ムーンショット デザイン幸福論」では、当時自身がポルシェに在籍していた際、フリーマン・トーマス氏は「新しいポルシェ」を考えるというプロジェクトに携わっていて、ここで考えたのが”のちにアウディでTTとなる”原型。

ただ、ポルシェではそのデザインが却下されてしまい(TT市販の15年前の話らしい)、しかし自身はそのデザインに愛着があったために自宅のキッチンでコツコツとクレイモデルを作り続け、そのためケン・オクヤマ氏ら同僚はこれを「キッチンカー」と呼び、「キッチンカーのデザインは進んでいるかい?」といった会話が日常的になされていたと記しています。

その後フリーマン・トーマス氏はアウディに移籍し、上述の通りアウディにて自身のキッチンカーを提案することになるのですが、それを見たフェルディナント・ピエヒ氏が「これだよ、これ」と言い放ち、その場で生産を決めたというエピソードも紹介されています。

なお、同時期にアウディにてデザイナーを努めていた和田智氏も本件について触れていて、フリーマン・トーマス氏はポルシェで仕事をしていたために「ポルシェらしさ」を知らず知らずのうちに表現する手法を身に着けていたのではないか、だからこそポルシェ創業者一族であるフェルディナント・ピエヒ氏がフリーマン・トーマス氏の作品にポルシェの面影を見て製品化を即決したのではないかとも述べています。

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「TT」にはこんな意味がある

なお、アウディTTの「TT」とは、イギリスのマン島にて開催されるバイクレース(TT=ツーリングトロフィー)に由来することがよく知られていますが、今回フリーマン・トーマス氏はさらなる「秘話」についても言及。

これによると、フリーマン・トーマス氏はアウディの歴史をひもとき、もともと4つのブランド(アウディ、ホルヒ、DKW、ワンダラー)が合併してできたこと、その後に(主にバイクを生産していた)NSUを併合してアウディが成立したことに着目し、そのNSUが「プリンス1000TT」というスポーツバイクを生産していたことを知ったそうですが、アウディ内でこのNSUを調査しようとしたところ、アウディ及びフォルクスワーゲングループの記録にはほとんどNSUの情報が残っておらず、しかし調査に出向いたVWグループの図書館の学芸員が「TT」と印刷されたライターをたまたま持っていて、そこにインスピレーションを受けてデザインしたのが「TT」のロゴであることを明かしています。

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つまりフリーマン・トーマス氏はTTのデザインを行ったのみではなく「TT」というモデル名までも考案した人物だということになりますが、TTは当初ポルシェとして考案され、しかしそれが却下された後に(それを考案した)デザイナーがアウディへ行き、そしてアウディで認められて製品化されたという稀有なクルマの例で、さらにその過程では「ポルシェもアウディTTの兄弟車を導入する可能性があった」ことが今回語られたわけですね。

そう考えると、このアウディTTというクルマは非常に数奇な運命をたどったと考えてよく、なかなかに面白いストーリーを持っている、と思います(ポルシェ版のアウディTTを見てみたかった気もするが)。

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参照:CARBUZZ

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