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東西ドイツが分断される時代、ポルシェの支援を受け、東独にて逮捕を恐れず「東独ポルシェ」の生産を行った男の物語

2020/10/12

| ポルシェ公認レプリカ「ミエルシュ・ポルシェ」を生産した男 |

さて、ポルシェのオンラインマガジン、クリストフォーラスにて「ポルシェ公認のレプリカが存在した」という記事が掲載に。

このストーリーはいささか難解なのですが、かつてドイツが「西と東に」分かれており、国交が断絶していた時代にまで時計の針を戻す必要があるようです。

ここで簡単にその流れを見てみましょう。

旧東ドイツに、ポルシェに乗ることを夢見る男がいた

まずストーリーは第二次大戦終了から8年が経過した1953年からはじまり、物語の主人公はハンス・ミエルシュという男性。

ハンス・ミエルシュは東ドイツにて婦人靴工場を経営する実業家ですが、西ドイツで刊行された自動車雑誌に掲載されていたポルシェ356を見て「このクルマにどうしても乗りたい」と考えるように。

ただし当時は西ドイツとの国交が絶たれ貿易も自由に行なえない状態だったのでポルシェ356を輸入することはかなわず、したがって「自分でこれを作る」ことを思い立っています。

そしてベースとなったのは、終戦時にドイツ兵がエルベ川を泳いで西に渡る際、大量に放置していった「キューベルワーゲン(タイプ82)」。

このキューベルワーゲンはポルシェによる設計ですが、ポルシェは多くの軍用車や兵器の設計に関与し、そのためにポルシェ創業者であるフェルディナント・ポルシェは戦争終了後に「戦犯」として捉えられることとなっています。

キューベルワーゲンをベースにポルシェを作る

そしてハンス・ミエルシュは、このキューベルワーゲンをベースに「ポルシェ356」を作ることができそうなエンジニア(ファルク/クヌート・ライマン兄弟)、ボディ製造技師(アルノ・リンドナー)をパートナーに、「東独ポルシェ」を作ることになるわけですが、キューベルワーゲンは356よりも車体が大きかったり、東独ではボディに使用できる適切な板金が手に入らないという事情もあって、できあがった車体は356よりも大きく重い(重量は356の倍くらいあったという)ものに。

なお、この時点でハンス・ミエルシュはポルシェ社と連絡を取っていたようで、西ドイツのパーツディーラーからブレーキ関連パーツを(ポルシェの紹介で)購入し、東ドイツへと「密輸」していたと言われるものの、これは見つかると禁固刑を食らうほどの重罪だったそうなので、その情熱や推してはかるべしというところです。

こうやって完成したのが「ミエルシュ・ポルシェ」と呼ばれる、ポルシェ公認のレプリカだったということになり、合計で12台が生産され、しかし現存するのはわずか2台なのだそう。

なお、1961年に、エンジニアとしてこの製作に協力したライマン兄弟が脱走幇助にて逮捕されるに至り、この”東独ポルシェ”はその後生産できなくなったようですね。

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下の画像は「2台のみが残る」うちの一台で、ハンス・ミエルシュ本人が1993年まで所有していた個体。

(完成当時のスペックはだと)エンジンはわずか30馬力、車体重量は1600kgだそうですが、これは356に比べると「約半分のパワー、ほぼ倍の重量」。

ただし後に正式にパーツの輸入ができるようになった1968年に、ポルシェ製1.6リッターエンジン(75PS)へと換装されているそうです。※その後さらにポルシェ製90PS版に換装

この個体については、1970年代にハンス・ミエルシュの工場が没収された際、同時に接収されそうになるものの、自身が戦争によって右足を失ったことを主張して「障害者である自分にとって、この自動車は自分専用の特注品」だという理由を述べることで保護に成功し、73歳を迎えるまでは自身で大切に保管していた、と伝えられます。

同氏は、自身の心血を注いだこのクルマを手放すにあたり、「信頼できる」人物に託そうと考え、譲り受けたのがミヒャエル・デニンガーなる人物だそうですが、今もこの個体はミヒャエル・デニンガーによって大切にメンテナンスされ所有されているというので、ハンス・ミエルシュは「いい人を選んだ」ということになりそうですね。

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参照:Christophorus

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