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日本で初めて乗用車に「レッド」を採用したのはホンダだった。2001年に正式に「ホンダレッド」としてコーポレートカラーにも用いられるようになった経緯とは

2023/12/09

日本で初めて乗用車に「レッド」を採用したのはホンダだった。2001年に正式に「ホンダレッド」としてコーポレートカラーとして用いられるようになった経緯とは

| 意外なことであるが、当時は法律によって「レッド」を乗用車のボディカラーに使用することは禁じられていた |

ホンダの情熱が法律を変えさせ、乗用車の歴史における新しい1ページを開くことに

さて、ホンダというと「赤と白」というイメージがありますが、ホンダが公開したコンテンツによると、ホンダのコーポレートカラーは「ホンダレッド」という赤なのだそう。

そしてホンダのコーポレートカラーが「ホンダレッド」となった経緯についても紹介されていて、レッドが採用されることになった最初のきっかけはひとことで言えば「本田宗一郎が気に入ったから」。

そのストーリーをここで紹介したいと思います。

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ホンダ初の4輪車は「レッド」、そして日本で初めて赤いクルマを作ったのものホンダだった

なお、ホンダは二輪からビジネスをスタートさせていますが、1950年代になると当時の経産省(いまの経済産業省)が国民車構想として「4人乗り、時速100km、価格15万円」という基準を打ち出し、これに合わせて様々な会社が乗用車を発売しようと開発を進めることになりますが(スバル360もそのひとつである)、ホンダもこれにあわせて4輪への進出を計画するわけですね。

そしてホンダはのちに「SPORTS 360」として発表することになるクルマの開発を進め、開発陣がこのボディカラーとして(目立つようにと)採用したのが「赤っぽいオレンジ」。

これを見た本田宗一郎はそのカラーをいたく気に入り、その場で「ホンダ初の4輪車のボディカラーはレッドで行こう」と決めたのだそう。

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ただし「赤いクルマ」を発売するには難関も

ただ、当時の日本では(今では信じられないことに)赤いクルマの販売が法的に禁じられており、その理由としては「消防車や救急車といった、緊急車両を間違えられてしまうから」。

これはまだ道路を走るクルマが少なかった時代ならではの規制ということになりますが、本田宗一郎はこれに猛反発し、新聞のコラム欄へと投書を行い「レッドはデザインの基本である」「国が特定のカラーを独占している例は聞いたことがない」という主張を繰り広げてこの法律を猛烈に批判することに。

さらにはホンダの担当者が運輸省(いまの国土交通省)へと通い詰め、(これも信じられないことに)ホンダの情熱がなんと法規制をひっくり返し「ボディカラーにレッドを使用する許可を得た」のだそう。

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かくしてホンダは「はじめてレッドを採用した乗用車」であるSPORTS 360を1963年開催の第9回全日本自動車ショーへと出展することになりまますが、実際にはこのSPORTS 360は発売されず、市販されたのはよりパワフルなSPORTS 500、そして軽トラックのT360。

ちなみにこの翌年となる1964年にホンダはF1へと参戦しており、さらにその翌年にはなんとメキシコGPで初優勝を飾っており、4輪車を発売してわずか2年足らずのメーカーがF1にて優勝を果たしたというのは驚き以外のなにものでもないかもしれません。

参考までにですが、当時のF1ではナショナルカラーを使用したマシンでの参戦がならわしとなっており、しかし当時日本の(F1における)ナショナルカラーが決められておらず、本田宗一郎はまず「ゴールド」を申し入れたものの却下され、その後に「白と赤」を申請するもこれも却下。

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その後の調整を経て「アイボリーに日の丸」を入れたマシンにて参戦が許可されることになりますが、このアイボリーが「チャンピオンシップホワイト」として「もうひとつのホンダを象徴するカラー」となるわけですね。※本田宗一郎はレッドに車体色にて参戦したかったのかもしれないが、レッドはすでにイタリアが使用しており、そもそも申請の余地がなかったのかも

やはりホンダは「レッド」が好きだった

なお、ホンダがいかにレッドを大事にしているかはその後の製品展開からもよくわかり、1967年に発売されたN360のイメージカラーにもレッドを採用しているもよう。

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そして1952年のカブ号F型には赤いエンジンが装着され、このキャッチフレーズはズバリ「白いタンクと赤いエンジン」。

この時点で「ホンダ=ホワイトとレッド」というイメージが定着してきたのかもしれません。

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そして1959年に発売された耕運機「F150」もレッド。

この耕運機は大ヒットとなったそうで、ここからホンダ耕運機のカラーは「レッド」と決められることになり・・・。

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たしかに現在「パワープロダクツ」として展開される一連の製品もたしかにレッド。

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そして元祖パワープロダクツとも言える携帯発電機「E300」(1965年)もやっぱりレッド。

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こういった経緯もあってホンダは2001年にコーポレートカラーを正式に「ホンダレッド」として定めることになり、これはモータースポーツにも通じる”エキサイティング”、そしてホンダの持つ”品質と技術””信頼”を表現しているといい、たしかに直近で発表されたホンダの新しい方向性を示すコンセプトカー「SUSTAINA-C Concept(サステナ・シー コンセプト)」にもやはりレッド。

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そしてホンダ75周年の今年、公式グッズとして販売が開始された「ホンダ色鉛筆(132円)」もやはりレッド。

ちゃんと「コーポレートカラー」「ホンダレッド」という文字がプリントされており、これはホンダファンならばぜひ持っておきたい一本だと思います(ぼくも購入しようと思う)。

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参照:Honda

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