■駄文(日々考えること)

ボクは断捨離が好きじゃない。モノを捨てるよりは「別の生きる道」を模索してふたたび輝かせてやりたい

2021/03/22

ブリキのおもちゃ(バイク)

| ボクはモノを捨てずにストックし、分類していつでも使えるようにしている |

さて、世の中では「断捨離」が支持を集めていますが、ぼくは正直「反断捨離」派。

ただしそれは「考え方にもよる」ところがあり、不要なものを捨てるという点では疑いの余地もなく賛成です。

そこでなぜぼくが断捨離に反対なのかと考えてみると、「何でもかんでも捨ててしまい、シンプルに」という風潮そのものに同意できないからなのかもしれません(神が嫌いなのではなく、神を盲信する人々が嫌いなんだと言ったマリリン・マンソンの心境によく似ている)。

なお、断捨離とは下記のように定義されています。

断捨離とは、 沖正弘が提唱したヨーガの思想。1976年の著書『ヨガの考え方と修業法 上巻』において「断捨離」という語が使用されている。 作家のやましたひでこが提唱し、商標登録する、不要な物を減らし、生活に調和をもたらそうとする思想。

Wikipedia

なぜぼくはモノを捨てないのか

なお、ぼくは片付けができない、モノを捨てることが出来ないのではなく、モノをきっちり分類し片付けて「保管しておく」タイプ。

今は不要であっても、いつか必要なときが来るだろうと考えてモノをストックしているのですが、多くの人から見ると、それは「ガラクタを集めている」と目に映るようです。

ただ、ぼくは「なんでも何かの役に立つ」と考えていて、さらには「本来の使い方では”役に立たなくなった”モノであっても、別の使い方をすれば役に立つ場面もある」と思うわけですね。

それは組織における人間でも同じことで、期待した通りの行動をしてくれなくとも、別の方向での活用方法が見つかるかもしれず、その「生きる道」を探すのが重要なのかもしれません。※映画「シービスケット」にて、足を怪我した競走馬を”価値ナシ”として殺そうとする場面にて、「足をけがしたからといって殺す必要はない」と諌める場面がある。のちにそれが人間にも適用され、その人の復活のきっかけになる

ボクはもっと前向きにものごと考えたい

よって、「使い道がなくなったから」とモノを捨てるよりは、そのモノの使いみちを探すほうが前向きであり生産的。

ただ、世の中には本当に使い道がなくなったモノというものもあり、たとえば自分の子供が着なくなったベビー服などはそういったモノに該当するかもしれませんが、それでも「捨てる」よりは「売る」「リサイクルに出す」「必要としている人に使ってもらう」といった、そのモノが有効に生きる方法を探したほうが「モノにとっても幸せだろう」と考えています。

こういった観点から、ぼくはモノを捨てるよりは何らかの方法で再利用する方法を考えていて、だからこそモノを捨てることが出来ず、「モノを捨てることをヨシとする」風潮にちょっとした悲しみを覚えています(そして、モノを捨てるということそのものが断捨離の本質ではないとも考える)。

さらには、どんなモノであっても一生懸命それを作り出そうと努力した人が影にいるはずで、そういった人々のためにも安易に「捨てる」という選択はしたくないのですね。

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捨てたものは二度と戻ってこない

そしてぼくがもうひとつ考えているのが、「モノを捨てるのは容易だが、捨てたものは二度と戻ってこない」ということ。

これは文字通りではありますが、失われたものは永遠に失われることになり、二度とそれを手に入れることができないのかもしれません(容易に買い戻したり、再度購入できるものもありますが、それも無駄ではある)。

そして、モノとの出会いも一期一会なのであれば、縁あって自分のところへとやってきたモノ、もしくは自分がお金を出して購入したモノをかんたんに捨て去ることは、その縁を否定したり、(買うという判断を下した)過去の自分を否定することにもなり、しかしそういった縁や過去の自分をまるごと引受けて人生を過ごすべきであって、現在においても、未来の自分が後悔しないよう、そして不要だと判断するような関係性を構築したりモノを身の回りに置かないようにすることのほうが大切なのだと考えています。

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