| 日本の社会は未だに「やればできる」「話せばわかる」という根性論に支配されている |
それが結果的にスピードを遅くし、国際競争力を貶めている
さて、ビジネスを進めるうえでよく(商談先から)言われるのが「一度会って話をしませんか」「面と向かって話さないとうまくお伝えできないこともあります」。
ちなみにぼくは(プライベートでは無駄を愛する割に)ビジネスでは効率性を重視していて、打ち合わせにかかる時間は「最短」「最小限」がベターだと考えており、「電話やオンラインミーティングで伝わらないことは、実際に会って話をしても理解できないだろう」とも考えています。
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ボクは道に迷うことや遠回りが苦にならない。むしろ知らない道や知らない土地に迷い込み、そこで自分を待ち受ける「新しいこと」のほうに興味がある
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日本人は「対面」が大好きである
こういった例のほか、日本の社会でよく言われるのが「コミュニケーションが重要」。
ただしこのコミュニケーションというのはビジネス上の会話だけではなく、かつて(バブル時代に重要とされた)「飲みニケーション」「重要なことは喫煙所ですべてが決まる」ということを多く含んでおり、現代においてはそういった傾向は薄くなりつつあると(よくネット上で)報じられているものの、実際の現場ではこういった習慣が色濃く残っているようにも感じます。
ちなみにぼくはこういった「仕事以外のコミュニケーション」は(仕事の上で)一切不要だと考えていて、完全に仕事とプライベートを切り分ける傾向があり、よってぼくが仕事の話を自らすすんでするのを聞いた人は(身内含め)まずいないかもしれません(聞かれたら答えるのだけれど)。
これは仕事が嫌とか仕事の話をしたくないということではなく、ぼくという人間は仕事とは無関係であり、仕事がぼくを支えて(支配して)いるのではないということを示していますが、一つの例をあげると、「定年退職したらやることがなくなってしまう人」「会社に勤めていて、肩書があれば皆そのポジションや肩書に媚びへつらうけど、会社を辞めると誰も見向きもされない人」にはなりたくないし、ぼくはそういった人間ではなく、仕事とは無関係にぼくのパーソナリティがある、といえばわかりやすいのかも。
つまり仕事をしていようがしていまいが、どんな仕事をしていうようが、仕事が変わろうが「自分は自分であり、自分自身は何も変わらない」ということですね。
ちょっと話がそれましたが、そういった意味において、仕事を進める上で仕事以外のコミュニケーションは必要はないと考えており、むしろこれがビジネスのスピードを遅らせることがある、とも考えています。
ただ、一部の国や地域では「一緒に食事をしないと一緒に仕事をしない」という文化を持っており、そういった場合については、その文化の背景を探るため、あるいは知的好奇心を満たすために「仕事以外の」コミュニケーションを取る場合もあり、これはこれでぼくにとって”新しい価値観の理解”というスキルを与えてくれ、上述の「(日本特有の)一度会って話しましょうよ」とは全く別のものとして捉えているわけですね。
ただしビジネス上のコミュニケーションにも「注意すべき点がある」
しかしながら、ビジネス上のコミュニケーションについても注意すべき点があり、それは「理解度や知識レベル、考え方が同じ人のみでチームを組む必要がある」ということ。
現在の日本ではコンセンサスが重要視されており、それはそれで問題はないのですが、チーム内に「理解が遅い人、理解が難しい人」がいればチームの進行速度が著しく低下します。
コンセンサスを重視するならば、そういった人を理解させてからでないと次のステップに進めないということになり、しかしそれは「チームの進む速度を、一番遅い人に合わせる」ということにほかならず、この状態だと他のチームあるいは他の会社に勝てないかもしれません。
ちなみにですが、戦争においては「地雷」「手榴弾」が非常に有効だとされ、これは「敵を殺して数を減らすから」ではなく「敵を怪我させて隊の動きを遅くするから」。
つまり、自分の隊に怪我人がいれば、その怪我人のペースに合わせてしか前進できず、よって地雷や手榴弾は「敵の機能を麻痺させる」ために時として使用されるわけですね。
そして(言い方があまり良くないのは承知の上ですが)ビジネスの上でも、自分のチームに「理解が遅い人がいれば」それはチームでの業務進行を妨げる存在だと考えてよく、これをどう扱うかが「リーダー」の役割ということに。
たとえば戦争において、自分の隊の残りの(問題なく動ける)隊員の安全と任務遂行を優先し、怪我して動けない隊員に「スマンが置いてゆく。わかってくれるな」と言うことも重要であり、ビジネスの場合は「理解が遅いメンバー」を入れ替えることも必要となってきます。
こういった場面において、おうおうに「コミュニケーション」で解決しようというのが日本の会社ではありますが、人間はそもそも知能、知識、考え方、信念がそれぞれ異なるので、どうしようとも「わからない人間にはわからない」とも考えており、であればコミュニケーションによって相互理解を深めるより(そもそも人間の本質は変わらないので理解が深まるのは表層だけである)「メンバーを入れ替える」ほうがよほど入れ替えられるメンバーのためにもなるのかもしれず、その「外す」メンバーが適切な能力を発揮できる場を用意するのもまたリーダーあるいは管理者そして経営者の資質が問われるところなのかもしれません。
よって「コミュニケーション」「話せばわかる」について、ぼくはこれを「幻想」だとも捉えていて、そしてこの幻想の出どころはこれまた日本特有の「根性論(がんばればできる)」なんじゃないかと思ったり。
実際のところ、わからないことをわからせる、できないことをやらせるのは本人のためにもならず、本当に本人のこと、そして周りの人のことを考えるならば、適切な配置を行うことがビジネスパーソンとして行うべきことなのかもしれません。
参考までにですが、ぼくはいくつか会社を運営していて、その中の一つは「従業員がぼく一人」。
そこでは一人でできることはすべて自分で行いますが、自分の範囲を超える業務を行わねばならない場合は「ネットで」それを出来る人を探してプロジェクトメンバーに加えることも(音楽業界ではこういった限定プロジェクトが組まれることがままある)。
そしてネット上で集めた複数人の、そしてお互い「顔も知らない、会ったこともない」メンバーで業務を進めるわけですが、これは「実際に同じオフィスで働くメンバー同士」よりもスムーズに、かつ効率的かつ効果的にことが運ぶ場合が多く、よって「お互いよく話し合って個々を理解することが大事」「会って話さないと伝わらない」ということには大きな疑問を抱いているわけですね。
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