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世界に一台、走行したのは一度のみ。そのランボルギーニ・マルツァルが51年ぶりにモナコで「二度目の走行」を行う

2018/05/16

| マルツァルが51年ぶりにモナコの市街地サーキットを走行 |

ランボルギーニ・マルツァルがモナコを走行。
なぜこれがニュースになるのかというと、ちょうど51年前にも、このマルツァルが同じモナコの市街地コースを走ったためで、まさに「時を経て当時の再現」ということになります。※マルツァルは一台しか製造されていない
しかも、マルツァルが公道を走行したのは、その51年前の「たった一回のみ」なので、今回の走行が以下に貴重かつ歴史的なものであるかもわかりますね。

マルツァルはカウンタックの7年も前にデザインされている

ランボルギーニはベルトーネのデザインによってこの「マルツァル」を発表し、当時(1967年)F1モナコ・グランプリの場に展示。
この際にマルツァルに熱い視線を注いでいたのがモナコのレーニエ皇太子で、それがきっかけとなりモナコグランプリ開催前のデモ走行にはグレース妃とともにこのマルツァルで走行することに(フェルッチョ・ランボルギーニはプロモーション戦略に長けており、これこそ本人が画策したとおりだったのかもしれない)。

そういったこともあってマルツァルそしてランボルギーニはその名を世界に知られることとなっていますが(カウンタックが登場するのはこの7年も後になってから)、このマルツァルそのものが生産に移されることはないままに終わっています。

その理由は「スタイルが先進的すぎて一般には受け入れられないだろう」ということですが、実際にはあまりにも広いグラスエリアや、大きなガルウイングドア(重量増加や安全性、剛性の問題がある)が実際の理由だったのだろう、とぼくは推測。

ただしマルツァルは姿を変えて1968年に「エスパーダ」として発売され、つまりエスパーダは今年で50周年。
ランボルギーニはそのレストア部門「ポロストリコ」で再生したエスパーダも同時にモナコへと持ち込み、マルツァルとランデブー走行させるという粋な演出を行っています。

なお、マルツァル発表の翌年にエスパーダが早々と登場しているということを考えると、やはりマルツァルは「エスパーダを売るためのプロモーションツール」だったのかも(実際にエスパーダはけっこうなヒットになった)。

↓右がエスパーダ。マルツァルと形状は似ているものの、エンジンはフロントに移動(V12)

ちなみに今回マルツァルを走らせたのはレーニエ皇太子の息子であるアルベール二世、同乗するのは甥のアンドレア・カシラギ。



マルツァルが1967年以降どういった運命をたどったのかはわかりませんが、2008年のベルトーネ閉鎖時に個人コレクターへと売却されており、ということは「それまでベルトーネが保管していた」のかもしれません。
その後にレストアを受けてこの新車コンディションへと蘇っているものの、もしかするとレストアを担当したのはランボルギーニで、そのつながりで今回のモナコ走行が実現したのかも(このマルツァルの所有権は個人コレクターのままで、今年3月のジュネーブにも展示されている)。

なお、デザイン的にはランボルギーニの「祖」にあたり、ハニカム(六角形)を前面に押し出したのはマルツァルが(ランボルギーニにとって)はじめてかも。

この六角形は現代でもランボルギーニの重要なデザインモチーフとなっており、アヴェンタドールやウラカンにも反復使用されていますね(とくにウラカンのダッシュボードはマルツァルそっくり)。

車体はランボルギーニ・ミウラのものを流用していますが、4人乗りとするためにミウラの「V12」を半分に割って「6気筒」とし、車体後部へと搭載しているのがパッケージング状の大きな特徴。

今回はじめて「MARZAL」のロゴを見たことになりますが、「MIURA」と同じような感じで、牛をイメージしたものとなってますね。
このロゴデザインを見る限りではマルツァルも「闘牛」由来なのだと思われますが、実際のところは情報がなく不明です。

なお、リアフードの「ハニカム」はムルシエラゴ(とくにLP670-4が近い)やアヴェンタドールにも形を変えて採用されるデザインモチーフでもありますね。

それでは動画を見てみよう

ランボルギーニは今回、マルツァルがモナコを走行する動画も公開。
まさかこのクルマが走っているところを見ることが叶うとは、と感無量です。※ランボルギーニによるプレスリリースはこちら

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