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ポルシェ911はもしかするとアイアンマンやブラックパンサー、トランスフォーマーみたいなエンブレムを装着する可能性があったことが公式記録から明らかに

2023/07/20

ポルシェ911はもしかするとアイアンマンやブラックパンサー、トランスフォーマーみたいなエンブレムを装着する可能性があったことが公式記録から明らかに

| 理由は定かではないが、なんとかポルシェのエンブレムは変更されず今日に至る |

なお、エンブレム変更のきっかけは「北米ディーラー網からの嘆願書」

さて、ポルシェは先日「新しいエンブレム(クレスト)」を発表しており、少し前には1948年に第一号車である「356」を路上に送り出した後、3年の間エンブレムを持たなかったことも明かされています。

その3年後となる1951年に現在の原型となるエンブレムが考案され(1952年に)車両に付与されることになるのですが、今回は「最初にエンブレムが装着された約10年後(1963年)、それまでの、そして現在のエンブレムとは似ても似つかない、シンプルなエンブレムに変更される可能性があった」という歴史的事実をポルシェ自らが公開しており、ここでその内容を紹介したいと思います。

ポルシェ
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そもそも、なぜポルシェはエンブレムを採用したのか

時系列に沿って説明してゆくと、「最初のポルシェ」発売時に用いられていたのは「PORSCHE」というおなじみのレタリングのみで、現在のエンブレムは「なし」。

エンブレムを装着しなかった理由は不明ではあるものの、「必要である」とは認識していなかったのかもしれませんね。

そしこの「PORSCHE」文字はアルミニウム製で、当時のポルシェの記録によると「インターンがジグソーパズルを使用して作ったもの」だとされています(オーストリアのインスブルックで開催されたロードレース、ホーフガルテンで初優勝を飾ったポルシェ356「No.1」ロードスターのためにデザインされたものらしい)。

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ただしその後、ポルシェの顧客であるオットマール・ドムニック博士がポルシェとともに1951年に「ポルシェのエンブレムを募集する」というコンペティション、ポルシェ・プライズ(懸賞金は1,000ドイツマルク)を立ち上げることになり、しかしここで集まったものはいまひとつポルシェ、そしてオットマール・ドムニック博士の心には響かなかったもよう。

この時点でもポルシェはとくにエンブレムがさほど重要だとは考えていなかったようで、しかし事態が急に動くようになったのは同じ1951年にニューヨークにて設けられたディナーの席。

この席にて、ポルシェを北米へと輸入していた業者であるマックス・ホフマンが(フェルディナント・ポルシェの息子である)フェリー・ポルシェに対していかにエンブレムが重要であり、ポルシェにとって必要であるかを説くことになります。

ポルシェは356をもっと美しく見せることが必要かつ可能であり、その手段としてはエンブレムの装着が有効だと考えられ、そしてそのエンブレムはポルシェの品質を証明し、さらには顧客の視覚に訴えかけ、加えてブランドアイデンティティを高めることになるためのシンボルでなくてはならない。

かくしてフェリー・ポルシェはエンブレムの必要性を強く再認識することになるわけですが、その年の12月27日、自身のノートに「ステアリングホイールの上に”ポルシェの文字”とシュトゥットガルト市の紋章、またはそれに類するものをあしらったものを考案すべし」という記載を行ったことが記録として残っており、1952年には製図家そしてデザイナーであったフランツ・ザヴァー・ライムシュピースがポルシェの(現代に通じる)エンブレムの原型を完成させることに。

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このデザインでは、シュトゥットガルト市の紋章から引用した「金色の盾の輪郭の中に聳え立つ馬」、ヴュルテンベルク=ホーエンツォレルン州の伝統的な紋章に由来する「レッドとブラックの州色と鹿の角」が配置され、その上に「PORSCHE」文字がアーチを描いています。

参考までに、シュトゥットガルト市の紋章はこのポルシェのエンブレムの中央部分。

ポルシェ

Image:Porsche

これにヴュルテンベルク=ホーエンツォレルン州の紋章を組み合わせたものが「ポルシェクレスト(エンブレム)」であり、レッド=騎士の祖国愛や勝利の能力と知、ブラック=冷静な判断力や決断力を表すとし、イエローは麦の黄色(豊かさ)を表現したものだと言われています。

かくしてこの「ポルシェ・クレスト」は1952年にはじめてポルシェのエンブレムとして採用され、356のステアリングホイールを飾ったのち、1954年にはボンネットに、そして1959年以降にはホイールセンターキャップにも使用されるようになっています。

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ポルシェは1948年に1号車の生産を開始したのち3年間はエンブレムを持たなかった!現在のエンブレムの原型ができたのは1952年、これまでに5回の変更を受けている
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なぜポルシェは1960年代にエンブレムを変更しようと考えたのか

そして1961年になるとこのエンブレムにとって「思わぬ危機」が訪れ、その危機の理由は大きく分けて2つ。

まずひとつは、当時のカラー印刷はまだ非常に高価で、しかもかなり複雑だったとされ、すべての印刷業者がカラー印刷に対応していたわけではなかったといいます。

加えてカラー印刷の方法についても現代とはずいぶん異なり、「シャープで鮮明な」カラー印刷ができず、つまりポルシェのエンブレムは当時の技術ではうまく再現できなかったうえ、主流であったモノクロ印刷でははっきりとコントラストが出ず、はっきり言ってしまえば「(印刷物に関して)見栄えの悪いシロモノ」だったようですね(これが1つ目の理由)。

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そしてもうひとつが「路上での視認性が低い」。

ポルシェのエンブレムは格調高く優雅なデザインを持っていたものの、他ブランドのエンブレムに比較して地味なので「それがポルシェであると」認識することが困難であり、エンブレムそのものが目立たなかったといい(ただしボディ形状については、これほど認識率の高いクルマもほかにない)、よって北米のポルシェディーラーが一致団結してポルシェ(とその広告部門責任者であるヘルマン・ラッパー氏)に対して「もっとシンプルで視認性が高く、かつ白黒印刷でもはっきりわかる」エンブレムへと変更するようにという嘆願書を送ったことがあるのだそう(下の画像がその書簡)。

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ちなみにこの際、ディーラーグループが「手本」として示したのがメルセデス・ベンツのスリーポインテッドスター、そしてフォルクスワーゲンのVWエンブレムだったそうですが(VWのエンブレムのデザイナーはポルシェのエンブレムをデザインした人と同一人物である)、これらは判別しやすく、かついかなる印刷でも同じ視覚効果が得られると述べています。

そしてポルシェはこういった要望を受け、(商業アーティストであった)ハンス・ローラーとの協業にてさまざまなデザインが生み出されることになり、いずれも「P」があしらわれているようですね(ハンス・ローラーは、50年代から60年代にかけてポルシェで多くの影響力のあるポスターや広告を手がけ、エーリッヒ・シュトレンガーと同様、このポルシェの時代に足跡を残したクリエイティブな才能の持ち主であったとされる)。

参考までに、新しいエンブレムは356の後継である911(1964年に登場)から採用される予定であったそうで、「もしかすると」現代の911もこれらのエンブレムの中のどれかをボンネットやホイールセンターキャップ、ステアリングホイールに装着していた可能性があった、ということになります。

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なお、ポルシェには相当数の設計図などのアーカイブが残っているとされ、しかしこの「エンブレム案件」については非常に限られた情報が記されているのみで、ポルシェの秘書官であり記録係でもあったギスラン・ケイスが残した書簡、そしてデザイン画以外にはなんら記録がないのだそう。

当時、ギスラン・ケイスはこのデザインをヘルマン・ラッパー広告部長に送ったという封書(下の画像)は残っているものの、ヘルマン・ラッパー広告部長、そしてポルシェ上層部は結果的にエンブレムの変更を行っておらず(正確には1963年に2度めのデザイン変更を行っているが、当初のデザインからほとんど変わっていない)、その理由すらも謎のまま。

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もしかするとポルシェは「10年以上親しんだエンブレム」を変更することに抵抗があったのかもしれませんし、かつてフェリー・ポルシェが(そのエンブレムにつき、他社との類似性を指摘された時に)「今日、このエンブレムは紛れもなくポルシェである」と語ったように、このエンブレムに対して誇りを持っていたからなのかもしれません。

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参照:Porsche

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