
| 「12気筒を作るべきです」──すべてはこの言葉から始まった |
エンツォ・フェラーリとV12エンジンとの「はじまり」はおおよそ様々な文献で一致している
さて、フェラーリと言えばV12、V12といえばフェラーリというくらい密接な関係にあり、そしてフェラーリのDNAの一部を形成する要素が「V12エンジン」。
今回はV12エンジンの誕生について掘り下げてみたいと思いますが、それには1946年にまで時計の針を戻す必要があります。
その当時何が起きていたかというと、エンツォ・フェラーリはそれまでの古巣であったアルファロメオを離れ、まさに自身の名を冠した会社とチームをもって、モータースポーツと自動車製造に関する新たな冒険をスタートさせようとしていたわけですね。
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フェラーリは「V12を発明した訳ではないが、もっともV12エンジンで成功した自動車メーカー」。その黎明期から現代に至るまでの歴史を振り返る
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「情報のコントロール」もまたエンツォ・フェラーリの得意とするところであった
なお、フェラーリは「最も有名なV12エンジンを採用する自動車メーカー」ではりますが、実際にフェラーリがV12エンジンを発明したわけではなく、それまでにもV12エンジンを搭載した自動車メーカーはいくつか存在しています。
ただ、「フェラーリとV12エンジン」がセットにて語られるようになったのは「エンツォ・フェラーリの巧みなメディアの操作」によるところが大きいのだと考えていて、というのもエンツォ・フェラーリは「なりたかった職業のひとつ」として新聞記者(スポーツライター)を掲げており、メディアの持つ影響力を熟知していたと思われるため。
よって彼はメディアに「自分が作り上げたいフェラーリ像を」報じさせることでフェラーリのブランドイメージを構築させていったとされますが(これは現在でも同じであり、各メディアに対しては「ライバルとの直接比較をしてはならない」などの制約がある。なお、映画にフェラーリを登場させる際、エンツォ・フェラーリは「負けるシーンを描いても構わないが、抜かれるシーンは描いてはならない」と言っていたそうだ)、そのためかフェラーリに関する文献に記載される歴史的内容は公式であろうとも研究家であろうともメディアであろうとも「ほぼ同じ」。※これはランボルギーニ創業者、フェルッチオ・ランボルギーニに関する記録が、文献によって「まちまち」なのとは大きく異なる点である
フェラーリのV12エンジンはこうやって生まれた
そこでフェラーリのV12エンジンに話を戻すと、エンツォ・フェラーリは自分の名を関したクルマを作るに際し、天才エンジニアの呼び声が高かったジョアキーノ・コロンボを呼び寄せ(エンツォ・フェラーリはエンジニアではなく、自分でエンジンの設計を行わなかった。このあたりは”指揮者”であるスティーブ・ジョブズ同様である)、エンツォ・フェラーリは「1.5リッターエンジンを作ろうと思う」とジョアキーノ・コロンボに話すことに。
そこでジョアキーノ・コロンボはこう返答します。
「12気筒を作るべきです。」
するとエンツォ・フェラーリは満足げにこう返すこととなり、これが「フェラーリとV12エンジンとのはじまり」だとされています。※フェラーリ公式、イエイツの伝記ともに同じ内容である、このとき、コロンボが「V8」と答えていたら即座に追い返され、いまのフェラーリはなかったであろう
「まさに私の考えていた通りだよ、コロンボ君…」
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フェラーリが「V12エンジン」についての情熱を語る。V12エンジンはメリットが多く、しかしその代償はコストではあるが、フェラーリはコストを気にしない
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非常識から始まった伝説──コロンボV12の誕生
当時、12気筒エンジンは高級車やレーシングカーに限られる存在であり、小排気量で12気筒という構想は“非常識”と見なされていましたが、ここからフェラーリの挑戦の歴史、そして伝説が始まることとなり、ジョアキーノ・コロンボはこのエンジンを「オーバースクエア」(ボア径>ストローク長)に設計。
これによりピストンスピードが抑えられ、高回転化が可能になったほか、バルブ駆動には各バンクごとにシングル・オーバーヘッド・カムシャフトを採用することに。
彼はこの設計を、1945年のフェラゴスト(イタリアの夏季休暇)に、妹の家の庭先でスケッチしたという記録が残ります。
- 搭載されたギアボックスはコロンボの旧友アンジェロ・ナージが設計
- エンジンのベアリングには航空機技術を応用した“薄肉ベアリング”を採用
- アウレリオ・ランプレディやジュゼッペ・ブッソら、のちの名技術者たちもこの初期プロジェクトに参画
初のフェラーリ、そして伝説へ
そして1947年3月12日、まだボディを持たない最初のフェラーリプロトタイプがテスト走行を開始し、同年、フランコ・コルテーゼがこの新エンジンを搭載したマシンでレースに初出場することとなるのですが、彼は当時を振り返り、こういった言葉を残しています。
「高回転型エンジンだったから、頭を使って運転しないといけなかった。タコメーターから目が離せなかったね。」
なお、エンツォ・フェラーリは当初からエンジンにこだわりがあったと見え、「強力なエンジンを積んでさえいれば勝てる」「エアロダイナミクスなんぞはエンジンを設定できないやつがやっとけ」といったエンジン中心と受け取れるポリシーを持っていたとされ、後年にはエンツォ・フェラーリ自身、こういった言葉を残したことも。
「お客様はエンジンを買っている。他の部分は“おまけ”なんだ。」
まさにこの思想がフェラーリの精神=“エンジンこそが主役”という哲学を築いており、だからこそ今でも新車発表会では「エンジンがまっさきに紹介されたり」「プレスリリースの冒頭ではエンジンスペックがまず述べられたり」するわけですね。※ただ、最近はこの限りではない例も登場
フェラーリ12気筒のマイルストーン
この後もフェラーリは様々な設計を持つV12エンジンを開発しており、もしかするとフェラーリは「もっとも多くのV12エンジンを設計し、搭載した」自動車メーカーなのかもしれませんね。
年代 | モデル | 特徴 |
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1947 | 125 S | 初のフェラーリ市販車、1.5L V12 |
1950 | 275 S | ランプレディV12の初登場 |
1962 | 250 GTO | 250シリーズの頂点、最も崇敬されるクラシックモデル |
1973 | 365 GT4 BB | 初のミドシップ・フラット12 |
1984 | テスタロッサ | 1980年代を象徴するスーパーカー |
1992 | 456 GT | フロントエンジンV12の復活 |
2022 | デイトナ SP3 | 史上最強のV12ロードカー |
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参照:Ferrari