| このコンテンツを見る限り、タイプRは時代に応じ、最適な形で進化を遂げることになりそうだ |
やはりタイプRはホンダの中でも「特別な位置づけ」にあるのは間違いない
さて、ホンダが「タイプRの30周年」を記念しスペシャルコンテンツを公開。
これは「タイプRとは何なのか」「タイプR歴代12台の歴史」、そして「これからのタイプR」についてホンダ自らが紹介し、そして語るという内容となっています。
そしてここでタイプRについて語るのは初代NSXの強度に関するプロジェクトリーダーを務めたエキスパートエンジニアである塚本亮司氏、二代目NSX Type Sのエクステリアデザインにも携わった原大氏の二名で、原大氏は先代シビック・タイプR(FK8)のエクステアリアデザインを担当し、現行シビック・タイプR(FL5)においてはプロジェクトリーダーを務めた、とのこと。
「タイプR」とはなんぞや
そしてそもそものタイプRとは何かということですが、最初のタイプRは1992年11月27日に登場した「NSX-R(Type RからNSX-Rに名称が変更されている)」。
これはエンジンのバランス取りによる精度向上、遮音材などの廃止による軽量化(120kg)、サーキット走行に対応する装備の追加(バケットシートなど)が行われたスパルタンなモデルで、約3年の間に480台が製造されています。
なお、その象徴的な「チャンピオンシップホワイトにレッド」というカラーリングは、1965年にホンダがF1にて初優勝を成し遂げたRA272のカラーに由来しており、「タイプR=モータースポーツ直結」であることを示しているわけですね。
参考までに、当時のF1では(スポンサーカラーではなく)ナショナルカラーを使用したマシンでの参戦がならわしであり、当時まだ日本の(F1における)ナショナルカラーが決められておらず、本田宗一郎はまず(RA271での参戦時に)「ゴールド」を申し入れたものの却下され、その後に「白と赤」を申請するもこれも却下。
その後の調整を経て「アイボリーに日の丸」を入れたマシンにて参戦が許可されることになりますが、このアイボリーが「チャンピオンシップホワイト」として後世に残ることとなります。
初代NSXが登場したのは1989年(同時期にマツダ・ロードスター、レクサスLS(トヨタ・セルシオ)、日産R32 GT-Rなどが登場した、ある意味では日本車の黄金期でもあった)で、同時に「日本中がF1ブームに沸いていた時代」。
ホンダはすでにNSX」にてスーパーカーにおけるパラダイムシフトを起こしていたものの、「誰もが驚くほど速く走ることができるスポーツカーを作りたい」と考えるようになり、そしてNSXオーナーもまた「もっとサーキットに特化したNSXオーナーもまたがほしい」という想いを強め、そういった背景から誕生したのがNSX-R。
NSXの開発が2つのグループに分けて進められたことは既報の通りで、そのひとつは「ピュアでシンプル=赤派」、そしてもうひとつは「ハイテク=シルバー派」。
結局のところ両者は妥協点を見つけて初代NSXの発売に至りますが、NSX-Rはこの「赤派」の思想をより明確に具現化したとも言える、サーキット走行を主眼に置いたレーシングカーに近いスポーツカーであり、「極限まで装備を削って速さを追求したクルマ」ということに。
よって、NSX-Rつまり初代タイプRでは「赤派の想い(レッド/Red)」「レーシング(Racing)」という2つの「R」が表現されているわけですね。
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そう考えると、現在のタイプRはずいぶん当初の思想とはかけ離れているように思えるものの、塚本亮司氏によると「当時と今とでは事情が異なる」といい、当時考慮する必要があったのが「280馬力という自主規制」。
スタンダードなNSXであってもすでに280馬力に達していて、この馬力を向上させることで運動性能を向上させるという手法を取ることができなかったため、当時のNSX-R開発陣としては「軽量化」「効率」「バランス」を極限まで追求するしかサーキット走行に対応させることができず、しかし現代では技術の向上によって「快適性を犠牲にせずとも(パワーアップ含め)パフォーマンスを追求することができるようになった」とも語っています。
こういったコメントを見ると、現代のタイプRとはけして「軽量化やスパルタンさを追求する」ことが目的というわけではなく、それらは「サーキットを速く走るための”手段”」にしか過ぎず、最終目的はあくまでのサーキットでのパフォーマンスであり、それを達成するためにはテクノロジーも積極的に注入するという考え方を持っていることがわかります。
見方によっては赤派からシルバー派にシフトしたということになりますが、現代において速く走るには、”削る(軽量化)”よりも”足す(パフォーマンス向上のためのデバイスや電子制御を追加)”のほうが有効だということを意味するのかもしれません。
歴代のタイプRはこうなっている
そこで「12台」の歴代タイプRを見てみると、まずは1992年のNSX-R(NA1)。
1995年のインテグラ TYPE R(DC2/DB8)。※今では信じられないが、新車価格は222万円だった
1997年のシビック・タイプR(EK9)。
1998年のアコード・タイプR。
2001年のインテグラ・タイプR(DC5)。
2001のシビック・タイプR(EP3)。
2002年のNSX-R(NA2)。
2007年のシビック・タイプR(FD2)。
2009年のシビック・タイプRユーロ(FN2)。
2015年のシビック・タイプR(FK2)。
2017年のシビック・タイプR(FK8)。
そして最新のシビック・タイプR(FL5)。
これからのタイプRはどこへ向かうのか
そしてホンダのデザイナー、原大氏が言うには「タイプRの開発となると、メンバーのリミッターが外れる」。
これはそのテーマがただひとつ「最速」しかないためで、その達成のためにはあらゆる手段を用いるという傾向があり、それはデザインに置いても変わりはなく、「一番速く走れる」デザインができあがればチームの誰も文句を言わなのだそう。
なお、原大氏はFK8とFL5という、同じシビック・タイプRながらもまったくイメージの異なるクルマのデザインを手掛けていますが、それについてスポーツカーのデザインはモータースポーツからのフィードバックもあって常にアップデートされ、その時は最適であっても、すぐに最新の理論でその”最適”が覆されることがあるからだとも述べており、よって今後のタイプRの姿はまだまだ変化を遂げることになるのかもしれません。
あわせてタイプRとは、時代に沿った形で変貌を遂げる必要があること、「これまでのファンを引き連れて、未来に進んでゆくような存在であるべき」だとも語っています。
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参照:HONDA