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マツダ RX-7(FD3S)のデザイナーが当時、そして現在の”再評価”を鑑み「全体的に見て、私たちはやりたかったことを達成し、30年を経てその点を証明したと思っています」

マツダ RX-7(FD3S)のデザイナーが当時、そして現在の”再評価”を鑑み「全体的に見て、私たちはやりたかったことを達成し、30年を経てその点を証明したと思っています」

Image:Mazda

| こう言い切れるカーデザイナーは幸せである |

さらに「当時目指していたことが30年経って立証された」クルマはそう多くない

さて、マツダのデザイナーがFC3S、FD3Sのデザインプロセスについて語る「後編」をお届けしたいと思います。

前編ではFC3Sにて用いられたデザイン過程、そしてFD3Sで採用した新しいアプローチ、そして8つのデザイン案から2つに絞られたところまでお伝えしましたが、トム・マタノ(俣野努)氏率いるマツダのデザインチームが最終的に選んだのが(マツダ本社の現代的なデザインではなく)マツダリサーチ・オブ・アメリカ(MRA)の作成したデザイン。

これは若い台湾人デザイナーのウー・ホアン・チン氏が描いたスケッチに基づいていますが(ウー・ホアン・チン氏は記事作成元のインタビューを拒否している)、トム・マタノ氏はこの決定において「北米(南カリフォルニア)でコンペがなされたこと」が大きく影響しているのではと考えており、どういうことかというと、南カリフォルニアでは日光が強くてあらゆるものに対する陰影が出やすく、よってFD3Sのボディラインのような「エッジのない、滑らかな曲線と曲面」が美しく見える傾向にあるからです(実際、当時のアメ車はニュルっとしたデザインが多く、丸っこいデザインがひとつの現地におけるトレンドでもあった)。

一方、このコンペが(南カリフォルニアほど日光が強くない)広島本社で行われていたならば、ウー・ホアン・チン氏のデザインは平坦に見え、魅力を発揮できなかったであろう、というわけですね。

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マツダRX-7(FD3S)は「真のスポーツカー」を目指して開発が行われる

デザインが決まった後は方向性の調整に入り、FD3Sの開発においては「真のスポーツカー」を標榜してプロジェクトが進められ、ブライアン・ロング著「RX-7 Mazda’s Rotary Engine Sports Car」によれば、その際のスローガンは「RE Best Pure Sports」。

結果的にトム・マタノ氏は「最終的には、ウー・ホアン・チン氏のデザインが持つ流れるようなボディ表面、私のデザイン(広島案)に採用していた機敏さとプロポーションとを組み合わせました」と語っていますが、その後はウー・ホアン・チン氏を広島に呼び、ほぼ同時に広島のデザインスタジオに登場したのがインスピレーション元となるフェラーリ275GTB。

ただしFC3Sの開発時のように「競合となるクルマ」を真似るためではなく、「これ(FD3S)は時代を超えたデザインであるべきだから、275GTBのような、時を超えて存在感を持つクルマとなるべきである」という考え方からで、このほか、ジャガーEタイプ、デ・トマソ・ヴァレルンガといったクラシカルなクルマ、さらにはメルセデス・ベンツ300SLガルウイングもスタジオに持ち込まれ、「タイムレスな要素」を追求することとなったことについても触れられています。

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なお、ちょっとおもしろいエピソードも紹介されており、開発中のRX-7(FD3S)とフェラーリ275GTBとを(スタジオではなく)屋外で並べてみると「スタジオの中では同程度の存在感に見えたものの、室外ではフェラーリ275GTBのほうが2-3割増で力強く見えた」。

これについてトム・マタノ氏は(275GTBをデザインした)ピニンファリーナは”クルマを屋外で美しく見せる方法を熟知していたのでは”と推測しており、「クルマを屋外に出すと、そのボディは周囲の圧力を支えるために自然に引き締まるんです。限られた空間の室内ではそれが感じられない」とも。

Ferrari-275-GTB
Ferrari

その後もFD3Sの開発が続けられ、マツダのデザイナーたちは「当初の計画よりも車幅を広げたり」といった変更がなされ、おおよそ最終プロダクションモデルとしての体裁が整ったのが1989年末で、マツダの1991年ル・マン優勝からわずか数ヶ月後に「アンフィニRX-7」として発表されるのですが、この後折悪しくバブル経済が崩壊してしまい、御存知の通り「RX-7の後継モデル」はいまだ作られていない状況です。

しかしながら、このFD3S世代のRX-7は現在再評価されており、1990年代の日本製スポーツカーへの関心の高まりとともに、アメリカではその価値が急上昇しているという現状がありますが(その流れを受けて日本でも大きく価格が上がっている)、販売が終了したのち20年以上が経過しているということもあり現存する車両も少なくなっています。

そして当時を振り返るとともに、こういった現場を見てトム・マタノ氏は「全体的に見て、私たちはやりたかったことを達成し、30年を経てその点を証明したと思っています」と語っていますが、こう”言い切れる”カーデザイナーはそう多くはなく、幸せな人物であると考えていいのかもしれませんね。

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参照:Motor1

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