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車を購入することで人生が上向くこともある。大切なのは挑戦をやめないこと

2017/10/13

車を購入することで人生が変わることだってある

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ぼくの掲げる信念のひとつとして、「その金額の金を使えない人間は、その金額の金を稼げない」というものがあります。

たとえば、手元に5000万円あったとします。それを使うことを躊躇する人間(様々な理由があります。使う前に返すべき借金がある、将来に備え貯蓄するなど)は、5000万円を再び得る(または稼ぐ)ことはできないけれど、その5000万円をパっと遣い切ることが出来る人間は、また5000万円を得るこ と(または稼ぐ)ことができる、とぼくは考えているわけですね。
5000万円を思い切りよく使い切ることで、その人間のスタンダードは5000万に引き上げられることになり、「5000万円に値する人間」になるのだと思っています。

仮にそれがモノを作っている人間であれば、自分自身はそれだけのお金を遣う甲斐性がないのに、他の人にその(同等かそれ以上の)お金を遣わせるものなど作れようはずもないと考えます。

自分は1000万円を使うことをためらう人間が、たとえば1000万円の価値のある商品、他の人に1000万円を支払わせるような商品を作ることができるのか、ということです。 それを体験したことがない、それを手にしたことがない人間が、そのレベルに到達することはできないだろう、とぼくは考えるのですね。

しかし逆に、お金を遣う人間は、遣ったお金から何かを学び取ることもできるとも思います。モノを買った、ギャンブルに遣った、飲み食いに遣った、旅行に遣った。用途は何でもOKだと思います。しかし、それだけのお金を遣った経験や、ある種の自信は必ず本人に蓄積されるわけで、それがその人間を構成する資質になると考えるのです。

上を見ることをやめてはならない

ポルシェ911を購入する以前は「車に1000万円」なんてとうてい無理無理絶対無理と考えていましたが、イザとなると買えてしまうもので、そうなると、「1000万円の車を買った」という事実がぼくの中で何かを形成するのです。そしてその「何か」がぼくに良い影響を及ぼし、ぼくを動かすわけですね。そうやってぼくは自らのスタンダードを切り上げて現在に至るのです。

その「何か」とは、「自分は、自分の考えた仕様のポルシェ911をオーダーし、新たにポルシェに作ってもらった」ということかもしれません。
この先どうなるかもわかりませんが、たとえ支払いができなくなって車を手放すことになったとしても、「オレはポルシェ911をカスタム仕様でオーダーした」ということは永遠に変わることのない、確固たる事実です。

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ぼくにとってもっとも危険なのは、「上を見るのをやめること」「挑戦する前に理由をつけて(挑戦を)やめること」、だと考えています。そうなるとぼくは停滞してしまい、自分が出来る範囲内のことだけを適当にやって毎日を過ごすようになり、たとえ上を見たとしても、欲しいものがあったとしても、それを自分のものや自分の世界として捉えずに、手が届かないものだと自分で決めつけて、それを手に入れた人を「ただ羨ましがるだけ」の人間に成り果ててしまうのかもしれません。

なので、ぼくはお金を遣うことを躊躇しない(ように心がける)タイプですが、それでもある一定の金額を超えるとビビるわけです。たとえばガヤルドを買おうとなると、もう3000万円。3000万円といえばマンションも買える金額で、その金額を一台の車につぎ込むのはさすがに躊躇するわけですよね。しかし、その金額を払ってガヤルドを自分のものとしたとき、ぼくのスタンダードは明らかに変っているはずなのです。

そういった意味では、買える(と言っても借金が必要ですが)金額や過去に買った金額範囲内の車ではなくて、自分のスタンダードを引き上げるためにも、さらに上の価格帯を狙ってみるか、という気持ちになっているわけです。現実的な部分では、ガヤルドを購入した方が不動産取得よりは値落ちが少なく済みそうだ、という妙な言い訳を考えたりしています。

買えないのは「自分には無理」と諦めてかかっているからだ

「買える」と考えて行動すれば、この低金利時代、比較的高価な車でも、なんとか買えてしまうのが現実。
逆に、ハナから「そんな車買えないよ」と考えてしまうと、現実的には買えるはずの車であっても、買うことができなくなってしまうのかもしれません。
「できる」と思えばできないことだってできるはずだし、「できない」と思えばできることだってできなくなる、と考えています。
ぼくは、はじめから 「できない」と決めつけて自分の限界を勝手に決めたり、可能性を閉じこめたくはないのです。

そういった意味では、「今買えてしまう」日産GT-Rではなくて、「今は買えないけれど、なんとか買うための努力をして」買った車の方が、ぼくにとって価値のある一台、そして意味のある一台になるのではないか、と考えているのですよね。ちょうど、初めてのポルシェである「ボクスターS」を、そして次に「911カレラ」を買うために知恵を絞り、その知恵が今のぼくを支えてくれているように。

たとえば、ぼくが2002年にボクスターSを買わなかったら、と思うことがあります。もしくはその後に911カレラを買わなかったら?ぼくのガレージにはボクスター が無いだけ、もしくはカレラが無いだけで、他は全て同じだろうか、と考えるのです。

仮の話でしかないけれど、その問いに対して、ぼくは何の迷いもなく「同じではない」と答えることが出来ます。ボクスターSを買う努力をしなかったら、911カレラを買う努力をしなかったら、いまのぼくは無いだろう、そう断言できるわけですね。

あのとき努力したからこそ今のぼくがあり、もしかするとボクスター Sではなく911カレラ、911カレラではなく911ターボを買う努力をあのときしていたのなら、ぼくの今のスタンダードは911ターボであるかもしれない、とさえ思うのです。

それが、今回無理してまでガヤルドを購入する理由ですが、いつか過去をふりかえったとき、「あのときガヤルドを買ったからこそ今の自分がある」と思える日が来ると信じています。

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